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市民の古代 第10集 1988年 市民の古代研究会編
 資 料

多胡碑と羊太夫伝説に関する文献目録

増田修・柳川美紀子・横山妙子

 この文献目録は、「市民の古代研究会」の部会「古代の関東研究会」が取り上げたテーマ「多胡碑と羊太夫伝説」の共同研究に当って、会員の増田修・柳川美紀子・横山妙子の三名が、協力して収集した文献を年代順にまとめたものである。
 「古代の関東研究会」は、また、昭和六二年三月九日、五月一七日、八月一九日と、現地調査を実施した。
 研究の成果は、古代の関東研究会編『多胡碑と羊太夫伝説をめぐる旅 報告集』にまとめたほか、増田修「多胡碑研究の問題点」(『市民の古代研究』第二二号)、同「多胡碑の『羊』と羊太夫伝承」(『市民の古代』第一〇集)として発表した。
 この文献目録は、もとより完全なものではない。しかし、現在のところ、この文献目録くらい、多胡碑と羊太夫伝説とその周辺の問題についての文献を収録した文献目録は、他にないといってよいであろう。多胡碑・羊太夫伝説を研究しようとする人々のための基本的な参考文献目録となれば、幸いである。
 なお、「八束羊太夫実録」・「羊太夫栄枯記」・「羊太夫一代記」・「小幡羊太夫宗勝縁起」・「西上州多胡郡住人小幡羊太夫宗勝記」・「上野国多胡郡八束山千手観音略縁起」・「多胡羊大夫由来記」・「羊太夫縁起」・「羊太夫落城之事」など江戸時代に筆録された羊太夫伝説本の所持者・所在地の紹介は、別の機会にしたい。これらの筆録本は、吉井町郷土資料館と前橋市立図書館で、一通りは閲覧できる。同一題名のものでも複数の写本があり、そのすべての調査は、今後の課題である。

番号
著(編)者 名
書名・論文名(掲載書・誌名)

発行年
(*は著作年)

1 釈 宗長 「東路の津登」(『群書類従』一八輯三三九) 一九三二(昭和七)
*一五〇九(永正六)
2 伊藤東涯

『盍簪録』

一七二〇(享保五)

3

4

青木昆陽

『夜話小録』

「上州故城壘記」(『上野志料集成』一)

一七四五(延享二)

一九一七(大正六)
*一七五二〜六四(宝暦頃)

5 沢田東江 「東江先生書話」(『少年必読日本文庫』九) 一八九二(明治二五)
*一七五四(宝暦四)
6 沢田東江

『上毛多胡郡碑帖』

一七五六(宝暦六)
7 安原貞平

『輿[窗/心]随筆』 一七五六(宝暦六)
  [窗/心]は、窗の下に心。JIS第3水準ユニコード7ABB

一七五六(宝暦六)
8 度会末済 『上野国多胡郡碑文』 一七五九(宝暦九)
9 青木敦書 『郡 名 考』 一七六四(明和一)
10 林 子平 「仙台間語」(『新編林子平全集』四) 一九七九(昭和五四)
*一七六四(明和一)
11 青木昆陽 「続昆陽漫録」 (『日本随筆大成』二〇・第一期) 一九七六(昭和五一)
*一七六六(明和三)
12 ト全等編 『多胡碑集』 一七七三(安永二)
13 毛呂権三 『上野国志』 一九一〇(明治四三)
*一七七四(安永三)
14 釈泰亮 「上毛伝説雑記」(『上野志料集成』二) 一九一七(大正六)
*一七七四(安永三)
15 山岡俊明(編) 『類聚名物考』巻九七 地理部四四(復刻)

一九七四(昭和四九)
*一七六四〜八一
 (明和・安永年間)

16 奈佐勝皐 「山吹日記」(『群馬県史料集』六・日記篇2)
一九七一(昭和四六)
*一九八六(天明六)
17 神沢貞幹(編) 『翁草』一一七雑話(復刻) 一九七〇(昭和四五)
*一九九一(寛政三)
18 藤原貞幹 「好古小録」(『日本随筆大成』二二・第一期) 一九七六(昭和五一)
*一七九五(寛政七)
19 諸葛琴台 『古碑考』 一七九七(寛政九)
20 松平定信 『集古十種』(復刻) 一九〇八(明治四一)
*一八〇〇(寛政三)

21

22

信海

「天台別院都幾山慈光寺実録」(『埼玉叢書』三)

『日本碑名考』

一九七〇(昭和四五)
*一八〇一(享和一)

一八〇三(享和三)

23 富岡正忠 「上野名跡考」(『上毛及上毛人』100〜104・106〜109) 一九二五・二六
  (大正一四・五)
*一九〇九(文化六)
24 小宮山楓軒 「楓軒偶起」(『日本随筆大成』一九・第二期) 一九七五(昭和五〇)
*一八一〇(文化七)
25 狩谷[木夜]斎

「古京遺文」 (『狩谷[木夜]斎全集』九)
 狩谷[木夜]斎の[木夜]は、木編に夜。JIS第3水準ユニコード68DE

一九二八(昭和三)
*一八一八(文政一)
26 栗原信允

「柳[荅/廾]随筆」(『日本随筆大成』一七・第二期)
  [荅/廾]は、荅の下に廾。JIS第4水準ユニコード844A

一九七四(昭和四九)
*一八一九(文政二)
27 飯塚久敏 『上野国古碑考』 一八一九(文政二)
28 市河寛斎 『金 石 私 志』 一八二一(文政四)
29 市河寛斎(収集) 「多胡砂子」(『群馬県史料集』二・風土記編2) 一九六七(昭和四二)
*一八二一(文政四)
30 大田南畝 「半日閑話」(『日本随筆大成』八・第二期) 一九七五(昭和五〇)
* 一八二二(文政五)
31 滝沢馬琴 「兎園小説外集」(『日本随筆大成』三・第二期) 一九七三(昭和四八)
*一八二六(文政九)
32 佐藤成裕 「中陵漫録」(『日本随筆大成』三・第三期) 一九七六(昭和五一)
*一八二六(文政九)

33

34

橘春暉

「北窓瑣談」(『日本随筆大成』一五・第二期)

「安中志」(『群馬県史料集』一・風土記編1)

一九七四(昭和四九)
*一八二九(文政三)

一九六七(昭和四二)
*一八三〇〜四二(天保年間)

35 伴 信友 「上野国三碑考」(『伴信友全集』二) 一九〇七(明治四〇)
*一八三六(天保七)
36 山崎美成(版下) 「雲萍雑志」(『日本随筆大成』四・第二期) 一九七四(昭和四九) 一九七四(昭和四九)
*一八四七(天保三)
37 富田永世 『上野名跡志』(復刻) 一九五九(昭和三四) *一八五三(嘉永六)
38 岡庭真垣 『上野国三碑考文』 一八六二(文久二)
39 鈴木基之 「松陰随筆」(『日本随筆大成』一三・第二期) 一九七五(昭和五〇)
40 小島成斎 「酣中清話」(『日本随筆大成』一五・第二期) 一九七四(昭和四九)

41

42

伊藤東涯

「[車酋*]軒小録」(『日本随筆大成』二四・第二期)
[車酋*]はJIS第3水準ユニコード8F36

『碑名考』(静嘉堂文庫蔵)

一九七四(昭和四九)

 

43

44

45

46

47

蔵春園主人

『皇朝金石編』(静嘉堂文庫蔵)

『多胡碑考集 完』(静嘉堂文庫蔵)

『多胡郡碑 完』(静嘉堂文庫蔵)

『上州治乱記』(内閣文庫蔵)

『上野風土記』(『上毛志料』)

 
48 市河寛斎 「金石題跋」(『寛斎先生余稿』三) 一九二六(大正一五)
49 市河寛斎 『金石搨本考』(無窮会神習文庫蔵)  

50

51

52

53

諸葛蠡(撰)

『古碑考』(静嘉堂文庫蔵)

「上野志」(『上野志料集成』一)

「上毛国風土記」(『上野志料集成』一)

「北武蔵名跡志」 (『埼玉叢書』一)

 

一九一七(大正六)

一九一七(大正六)

一九七〇(昭和四五)

54 群馬県(編) 『上野国郡村誌』七・一〇 一九八一・八四
 (昭和五六・五九)
*一八七七 ー 八七
 (明治一〇〜二〇)
55 青山可笑 『皇漢金石文字墨帖一覧』 一八七七(明治一〇)
56 細川潤次郎 「多胡碑記」(『十州文鈔』一) 一八七九(明治一二)
57 近藤芳樹 『陸路廼記・上』 一八八〇(明治一三)
58 阿部弘蔵 『建多胡郡弁官符碑考』 一八八五(明治一八)
59 阿部弘蔵 「羊祠碑考証」(『漱芳閣叢書料』二〇)  (文化庚子)
60 加部巌夫 「多胡の碑につきての考」(『如蘭社話』一〇) 一八八九(明治二二)
61 伝 雲龍

「日本金石志」(『遊歴日本図経』二三)

一八八九(明治二二)
*一八八四(光緒一〇)
62 川口[羽/高]

「多胡碑諸説存疑」(『史学雑誌』八 ー 五・八 ー 六)
川口[羽/高]氏の[羽/高]は、羽の下に高。JIS第4水準ユニコード7FEF

一八九七(明治三〇)
63 谷川士清(編)
井上頼圀(増補)
『増補語林 和訓栞』中・下 一八九八(明治三一)
64 沼田頼輔
若林勝邦(共編)
「博物館歴史部案内記 ー上野多胡郡弁官符碑ー」(『考古』一 ー 七) 一九〇〇(明治三三)
65 渡辺市太郎(編) 『大日本名蹟図誌』八 上野国之部二
(『大日本宝鑑上野名蹟図誌』と改題復製)
一九八四(昭和五九)
*一九〇一(明治三四)
66 斎藤惇 『上野国名跡概説』 一九〇二(明治三五)
67 藤野静雄 「多胡碑の面影」(『古蹟』二 ー 二) 一九〇三(明治三六)
68 高橋建自 「多胡郡碑と羊大夫」(『考古界』六 ー 四) 一九六六(昭和四一)
*一九〇七(明治四〇)
69 坂本太郎 「古代金石文二題」(『日本歴史考古学論叢』)(『考古界』六 ー 四) 一九六六(昭和四一)
*一九〇七(明治四〇)
70 吉田東伍 「羊の崎と羊の碑」(『歴史地理』九 ー 一) 一九〇七(明治四〇)
71 高田与清 「多胡建郡碑考」(『松屋筆記』六) 一九〇八(明治四一)
72 河東碧悟桐 「その折り々・上州三古碑」(『日本及日本人』四九四) 一九〇八(明治四一)
73 多野郡教育会(編) 『多野郡誌』 一九一〇(明治四三)
74 中村不折 「趣味と理窟 ー多胡の碑に就いてー」(『ホトトギス』一五 ー 五) 一九一二(明治四五)
75 明治神社誌料編纂所 『明治神社誌料』上 一九一二(明治四五)
76 近藤瓶城 『けぬの石文』(無窮会神習文庫蔵)  
77 須長真彦 『武蔵国都幾山慈光寺略誌』 一九一三(大正二)
78 喜田貞吉 「多胡碑の読み方」(『芸文』五 ー 五) 一九一四(大正三)
79 豊国覚堂 「多胡碑集説」(『上毛及上毛人』三) 一九一六(大正五)
80 堀田薫治 「多野郡と碑文」(『上毛及上毛人』三) 一九一六(大正五)

81

82

伊藤柏陵

「栗生系図と羊太夫の伝説」(『上毛及上毛人』六)

「多胡碑と多胡三郎・清水氏の系図」(『上毛及上毛人』一四)

一九一七(大正六)

一九一七(大正六)

83 柴田常恵 「多胡碑の摸刻」(『歴史地理』三〇 ー 二) 一九一七(大正六)
84 豊国覚堂 「羊氏と多治比氏との関係」(『上毛及上毛人』二一) 一九一八(大正七)
85 堤 雄半 「多胡碑の羊辞に就て」(『上毛及上毛人』二六) 一九一九(大正八)
86 土屋補三郎 「上野古碑集説(一)(二)(三)(四)(五)」(『上毛及上毛人』三二〜三六) 一九一九(大正八)
87 林 古渓 「上毛三碑」(『考古学雑誌』一一 ー 四) 一九二〇(大正九)
88 松田[金貫] 「日野絹」(『上毛及上毛人』四六)
松田[金貫]氏の[金貫]は、金編に貫。JIS第3水準ユニコード93C6
一九二一(大正一〇)
89 内山正如

「多胡碑歌」(『上毛及上毛人』四九)

一九二一(大正一〇)
90 堤 達也 「年号『和銅』の意義に就て」(『上毛及上毛人』五一) 一九二一(大正一〇)
91 豊国覚堂 「大宝の年号ある高瀬の庚申塔に就て」(『上毛及上毛人』五五) 一九二一(大正一〇)
92 豊国覚堂 「再び高瀬の庚申塔に関して」(『上毛及上毛人』五六) 一九二一(大正一〇)
93 木崎愛吉 『大日本金石史(一)〕』(復刻) 一九七二(昭和四七)
*一九二一(大正一〇)
94 向井周弥 「多野郡多胡村大字塩村昔話(一)〜(六)」(『上毛及上毛人』五一 ー 五六) 一九二一(大正一〇)
95 向井周弥 「多野郡多胡村大字塩村昔話(七)」(『上毛及上毛人』五七) 一九二二(大正一一)
96 群馬県 「明治初年に於ける古碑保存事業(上)・(中)・(下)」(『上毛及上毛人』五七・五八・五九) 一九二二(大正一一)
97 松田 [金貫] 「南毛名迹(其の五)」(『上毛及上毛人』五九) 一九二二(大正一一)
98 豊国覚堂 「多野郡平井村雑記(上)」(『上毛及上毛人』六一) 一九二二(大正一一)
99 松田 [金貫] 「日野金井中原の布目瓦竈趾に就きて」(『上毛及上毛人』六三) 一九二二(大正一一)
100 秋山吉次郎 「国分寺址より出でし文字瓦に就て」(『上毛及上毛人』七七) 一九二三(大正一二)
101 山本隠倫
入田整三
『増補尚古年表』 一九二四(大正一二)
102 中島吉太郎 「上毛に於ける羊太夫の伝説(其の一)(其の二)(其の三)」(『上毛及上毛人』八八、八九、九〇) 一九二四(大正一三)
103 中島吉太郎
佐藤錠太郎
「古前橋研究会第五回史蹟踏査資料(下)」(『上毛及上毛人』八九) 一九二四(大正一三)

104

105

秋山吉次郎

「妙義登山及び上野三碑歴訪記」(『上毛及上毛人』九二)

「上毛野国形略図」(『上毛及上毛人』一〇〇)

一九二四(大正一三)

一九二五(大正一四)

106 内務省 『特選神名牒』 一九二五(大正一四)
107 豊国覚堂 「多胡碑の木版」(『上毛及上毛人』一〇九) 一九二六(大正一五)
108 富田茂三郎 『朝日さす夕日かがやく・・・』の歌につき松田毛鶴先生へ」(『上毛及上毛人』一〇九) 一九二六(大正一五)
109 豊国覚堂 「上野三碑調査報告と黒板先生」(『上毛及上毛人』一一一、一一二) 一九二六(大正一五)
110 諸田八百七 『群馬県史蹟名勝』第一輯 一九二六(大正一五)
111 黒板勝美 「上野三碑調査報告」(内務省『史蹟精査報告』一) 一九二六(大正一五)
112 柴田常恵 「多胡碑」(内務省『史蹟調査報告」二) 一九二七(昭和二)
113 多野郡教育会 『群馬県多野郡誌』 一九二七(昭和二)
114 県教育会 『群馬県史』 一九二七(昭和二)
115 磯田峯城 「福島県にある多胡碑に就いて ーー同地方にてま塗方も(な)き説を流布すー」(『上毛及上毛人』一二四) 一九二七(昭和二)
116 中島悦次 「多胡碑に就いて」上・中・下(『中央史壇』一三 ー 一〇・一三 ー 一一・一四 ー 二) 一九二七・二八(昭和二・三)
117 本田亀三 『群馬県北甘楽郡史』 一九二八(昭和三)
118 高橋城司 『群馬県史蹟名勝天然記念物調査報告』第一輯 一九二九(昭和四)
119 住谷修 「上野国国分寺の文字瓦に就て」(『上毛及上毛人』一六三) 一九三〇(昭和五)
120 武田八守 「小幡由緒之事」(『上毛及上毛人』一六四) 一九三〇(昭和五)
121 豊国覚堂 「古瓦及び古碑の羊字について」(『上毛及上毛人』一六五) 一九三一(昭和六)
122 松田[金貫] 「多胡碑の羊」(『上毛及上毛人』一六七) 一九三一(昭和六)
123 豊国覚堂 「多胡碑に見ゆる羊氏の事」(『上毛及上毛人』一六七) 一九三一(昭和六)
124 中島悦次 「再び『羊』について」(『上毛及上毛人』一六八) 一九三一(昭和六)
125 松田[金貫] 「多胡碑の羊(承前)」(『上毛及上毛人』一六八) 一九三一(昭和六)
126 堀口薫治 「多胡碑の系統に就て」(『上毛及上毛人』一七四) 一九三一(昭和六)
127 中島悦次 「多胡碑の『羊』について」(『国学院雑誌』六 ー 二) 一九三一(昭和六)
128 松田[金貫] 「多胡碑の羊・羊の姓氏は何か」(『上毛及上毛人』一八一) 一九三二(昭和七)
129 岩沢正作 「八幡塚古墳調査報告書を整理し終りて」(『上毛及上毛人」一八三) 一九三二(昭和七)
130 松田[金貫] 「多胡碑の羊・羊の住所は何所か」(『上毛及上毛人』一八四) 一九三二(昭和七)
131 松田毛鶴 「鳥が鳴く東(酉年漫筆)」(『上毛及上毛人』一八九) 一九三三(昭和八)
132 松田[金貫] 「多胡碑附近の布目瓦」(『上毛及上毛人』一九二・一九七) 一九三三(昭和八)
133 堀口薫治 「多胡碑と伝説」(『上毛及上毛人』二〇三) 一九三四(昭和九)
134 豊国義孝 「多胡碑に就て」(『吉井今昔史』)(『上毛及上毛人』二〇六) 一九三六(昭和一一)
*一九三四(昭和九)
135 秋山吉次郎 「多胡碑の『給羊』に就て」(『上毛及上毛人』二〇八) 一九三四(昭和九)
136 佐藤雲外 「蠧魚の余業(其九)」(『上毛及上毛人』二一一) 一九三四(昭和九)
137 松田[金貫] 「歴史ある上野絹」(『上毛及上毛人』二一二) 一九三四(昭和九)
138 相川龍雄 『上野国分寺文字瓦譜』 一九三四(昭和九)
139 矢嶋太八 『甘楽史観郷土の花影』 一九三四(昭和九)
140 中島利一郎 「多胡碑管見」(『考古学雑誌』二四 ー 一) 一九三四(昭和九)
141 松田[金貫] 「古墳の分布と旧郷との関係」(『上毛及上毛人』二一七) 一九三五(昭和一〇)
142 松田[金貫] 「古墳の分布と旧郷との関係(其二)」(『上毛及上毛人』二一八) 一九三五(昭和一〇)
143 住谷修 「上野古瓦文字考(上)・(中)・(下)」(『上毛及上毛人』二一八・二一九・二二〇) 一九三五(昭和一〇)
144 堀越一二三 「多野郡吉井附近の三大古墳について」(『上毛及上毛人』二一九) 一九三五(昭和一〇)
145 相川龍雄 「上野国分寺回顧」(『上毛及上毛人』二二〇) 一九三五(昭和一〇)
146 松岡静雄 『多胡碑断疑』 一九三五(昭和一〇)
147 松田[金貫] 「上野古瓦文字(一)」(『上毛及上毛人』二二四) 一九三五(昭和一〇)
148 松田[金貫] 「上野古瓦文字(二)・(三)・(四)」(『上毛及上毛人』二二五・二二六・二二七) 一九三六(昭和一一)
149 千々和実 「上野一宮貫前神社の研究」(『上毛及上毛人』二二六) 一九三六(昭和一一)
150 松田[金貫] 「多胡碑と来三月」(『上毛及上毛人』二二六) 一九三六(昭和一一)
151 松田[金貫] 「多胡碑『給羊』の断案」(『吉井今昔史』)(『上毛及上毛人』二二七) 一九三六(昭和一一)
152 中島悦次 「多胡碑『羊』の再吟味」(『吉井今昔史』)(『上毛及上毛人』二三五) 一九三六(昭和一一)
153 依田今朝吉 「吉井町旧事雑記」(『上毛及上毛人』二三六) 一九三六(昭和一一)
154 住谷 修 「国分寺古瓦に見る吉井関係」(『上毛及上毛人』二三六) 一九三六(昭和一一)
155 中島悦次 「上毛三碑雑考」(『上毛及上毛人』二三七) 一九三六(昭和一一)
156 本多夏彦 「多胡碑関係資料断片」(『上毛文化』一 ー 三) 一九三六(昭和一一)
157 大沢季穂 「多胡碑を繞る古瓦の分布」(『上毛文化』一 ー 七) 一九三六(昭和一一)
158 松田[金貫] 「多胡碑の羊の業績と見るもの」(『上毛及上毛人』二三九) 一九三七(昭和一二)
159 松田[金貫]

「多胡碑参拝の所感・附[木勝]島福七郎氏の事」(『上毛及上毛人』二四〇)
松田[金貫]氏の[金貫]は、金編に貫。JIS第3水準ユニコード93C6
[木勝]島福七郎氏の[木勝]は、JIS第3水準ユニコード6A73

一九三七(昭和一二)
160 雲外閑人 「伝説を拾ふて(其七)」(『上毛及上毛人』二四三) 一九三七(昭和一二)
161 松田[金貫] 「多野の公田の地名に就て」(『上毛及上毛人』二四五) 一九三七(昭和一二)
162 依田今朝吉 「南毛郷土誌雑談(その八)」(『上毛文化』二 ー 一) 一九三七(昭和一二)
163 松田[金貫] 「上毛三碑巡り」(『上毛文化』二 ー 三) 一九三七(昭和一二)
164 入田整三 『日本金石文綱要』 一九三七(昭和一二)
165 相川龍雄 「安倍朝臣小水麻呂写経考」(『上毛及上毛人」二五一) 一九三八(昭和一三)
166 松田[金貫] 「日本三辻のありか」(『上毛及上毛人』二五四) 一九三八(昭和一三)
167 相川龍雄 「慈光寺を訪ねて」(『上毛及上毛人』二六三) 一九三九(昭和一四)
168 松田[金貫] 「多胡碑の羊」(『上毛及上毛人』二六三) 一九三九(昭和一四)
169 種月老人 「俗信を尋ねて(其十一)」(『上毛及上毛人』二六五) 一九三九(昭和一四)
170 松田[金貫]

「多胡碑と長崎氏」(『上毛及上毛人』二六六)

一九三九(昭和一四)
171 松田[金貫] 「多胡碑所在地『池』の称は何か」(『上毛及上毛人」二六八) 一九三九(昭和一四)
172 井上通泰 「上野国三碑考」上・中・下(『上毛及上毛人』二六九・二七〇・二七一) 一九三九(昭和一四)
173 相川龍雄 「多胡碑談」(『茶わん』九五) 一九三九(昭和一四)
174 大宮司蔵 「一宮之由来並由緒書(上)・(下)」(『上毛及上毛人』二七八・二八〇) 一九四〇(昭和一五)
175 松田[金貫] 「多胡碑を巡りて」(『上毛及上毛人』二八八) 一九四一(昭和一六)
176 毛山吉三 「上毛遍跡(五)」(『史蹟名勝天然記念物』一六 ー 一〇) 一九四三(昭和一八)
177 山岸利三郎 「羊太夫に就て」(『上毛文化」七 ー 六八) 一九四三(昭和一八)
178 豊国覚堂 「羊太夫の事」(『上毛文化』七 ー 六八) 一九四三(昭和一八)
179 相川龍雄 「上野国分寺文字瓦研究」上・中・下(『上毛文化』七 ー 七五・七六・七七) 一九四三(昭和一八)
180 薮田嘉一郎 「上代金石文雑考(上)」(『考古学雑誌』三三 ー 七) 一九四三(昭和一八)
181 竹内理三(編) 『寧楽遺文』下 一九四四(昭和一九)
182 土屋文明 『続万葉紀行』 一九四六(昭和二一)
183 薮田嘉一郎 『日本上代金石叢考」付狩谷[木夜]斎『古京遺文』訳 九四九(昭和二四)
184 三田清白 「多胡碑小考」(『書品』三三) 一九五二(昭和二七)
185 西川 寧

「多胡碑余談」(『書品』三三)

一九五二(昭和二七)
186 尾崎喜左雄 『かみつけより群馬へ』 一九五三(昭和二八)
187 曽我部静雄 「多胡碑の羊の字について」(『日本歴史』五六) 一九五三(昭和二八)
188 後藤守一 「上野国愛宕塚」(『考古学雑誌』三九 ー 一) 一九五四(昭和二九)
189 原田淑人 「多胡碑に見える『給羊』の新解釈」(『考古学雑誌』四〇 ー 四) 一九五五(昭和三〇)
190 野本白雲

「多胡郡碑」(『定本書道全集』八)

一九五六(昭和三一)
191 保坂三郎 「多胡碑」(『書道名品大系』一二) 一九五六(昭和三一)
192 藤原衛彦 『日本民族伝説全集』二 一九五六(昭和三一)
193 橋爪 聡 『多胡碑のはなし』 一九五六(昭和三一)
194 橋爪 聡 「辛科神社の研究」(『群馬文化』六) 一九五七(昭和三二)
195 松田 [金貫] 『藤岡町史』 一九五七(昭和三二)
196 萩原 進 『上州路・史跡篇』西毛の巻 一九五八(昭和三三)
197 橋爪 聡 「村主考 ー帰化人研究」(『群馬文化』一九) 一九五八(昭和三三)
198 近藤喜博(編) 『神道集』東洋文庫本 一九五九(昭和三四)
199 山本三郎 「丹生明神を求めて」(『群馬文化』三三) 一九五九(昭和三四)
200 山本三郎

「水銀の神丹生津姫」(『群馬文化』三四)

一九六〇(昭和三五)
201 近藤通泰 『秩父史談』西秩父の巻 一九六〇(昭和三五)
202 里見村誌編纂委貝会 『里見村誌』 一九六〇(昭和三五)
203 加藤 諄 「多胡碑」(『書跡名品叢書』一〇六) 一九六三(昭和三八)
204 太田 亮 『姓氏家系大辞典』一・二・三 一九六三(昭和三八)
205 安中市誌編纂委員会 『安中市誌』 一九六四(昭和三九)
206 宮崎雷八 『上毛野昔語』西毛編 一九六五(昭和四〇)
207 上田四郎 「令制から見た多胡碑の碑文」(『群馬文化』八一) 一九六五(昭和四〇)
208 吉田行雄 「多胡碑考察・二」(『書学』九八・九九) 一九六六(昭和四一)
209 尾崎喜左男 『横穴式古墳の研究』 一九六六(昭和四一)
210 伊沢要次郎

「多胡の碑文の解読」(『日本歴史』二二〇)

一九六六(昭和四一)
211 尾崎喜左男 『多胡碑』 一九六七(昭和四二)
212 谷  馨 『万葉東国紀行』 一九六八(昭和四三)
213 吉田東伍 『大日本地名辞書』増補版・第六坂東 一九七〇(昭和四五)
214 瀧澤精一郎 「多胡碑存疑」(『野州国文学』五) 一九七〇(昭和四五)
215 今井啓一 「上野三碑と那須国造碑」(『古代の日本』七) 一九七〇(昭和四五)
216 青木和夫 『日本の歴史』三 奈良の都 一九七〇(昭和四五)
217 尾崎喜左雄 『上野国の信仰と文化』 一九七〇(昭和四五)
218 尾崎喜左雄 「多胡碑および古墳との関係」(『考古学講座』六) 一九七〇(昭和四五)
219 福山敏男 「古碑」(『新版考古学講座』七) 一九七〇(昭和四五)
220 岡崎 敬 「日本の古代金石文」(『古代の日本』九) 一九七一(昭和四六)
221 神田喜一郎(監彦)
大谷大学(編)
『日本金石図録』 一九七二(昭和四七)
222 大場磐雄 「金石文の研究とその課題」(『日本歴史』二九二) 一九七二(昭和四七)
223 古馬牧村誌編纂委員会 『古馬牧村誌』 一九七二(昭和四七)
224 岡島成行
尾崎喜左雄
『上毛野国 ー 忘れられた古代史』 一九七三(昭和四八)
225 有川美亀男 「『神道集』甘楽郡の解説」(『群馬大学教育学部紀要』二二) 一九七三(昭和四八)
226 瀧澤精一郎 「多胡碑存疑」補遺 ー第二次調査報告ー(『野州国文学』六) 一九七三(昭和四八)
227 尾崎喜左雄 『上野国神名帳の研究』 一九七四(昭和四九)
228 脇屋真一 「多胡碑の羊」(『群馬歴史散歩』三) 一九七四(昭和四九)
229 阿部軍一郎 「私の歴史散歩 ー 多胡碑の古字に就て」(『群馬歴史散歩』五) 一九七四(昭和四九)
230 並木喬枝

「多胡碑の并について」(『群馬歴史散歩』六)

一九七四(昭和四九)
231 脇屋真一 「私見・多胡碑の訓法」(『群馬歴史散歩』七) 一九七四(昭和四九)
232 早川庄八 『日本の歴史』四 一九七四(昭和四九)
233 上毛新聞社(編) 『上州の史話と伝説』その2 一九七四(昭和四九)
234 山田武麿 『群馬県の歴史』 一九七四(昭和四九)
235 吉井町誌編纂委員会 『吉井町誌』 一九七四(昭和四九)
236 徳田和夫 「『赤城大明神事』と羊太夫伝説」(『国学院大学院・文学研究科論集』一) 一九七四(昭和四九)
237 茂原照作 「小幡氏家臣斉藤充司家に残る『古来之聞書』」(『群馬文化』一六五) 一九七五(昭和五〇)
238 小野 勝 「月夜野町の歴史散歩」(『群馬歴史散歩』九) 一九七五(昭和五〇)
239 脇屋真一 「貫前と抜鉾」(『群馬歴史散歩』一九) 一九七六(昭和五一)
240 菊地宗吉 「上野国大目小水麿の写経」(『群馬歴史散歩』一九) 一九七六(昭和五一)
241 多野藤岡地方誌編集委員会 『多野藤岡地方誌』総説編・各説編 一九七六(昭和五一)
242 茂原昭作 『新屋村 ーその史話と名物』 一九七六(昭和五一)
243 尾崎喜左雄 『上野国の古墳と文化』 一九七七(昭和五二)
244 李 沂東 「羊神社と多胡碑の羊氏」(『高天原は朝鮮か』) 一九七七(昭和五二)
245 須田 茂 「上野国分寺の軒瓦」(『群馬文化』一七七) 一九七七(昭和五二)
246 都丸十九一(他) 『日本の伝説』二七・上州の伝説 一九七八(昭和五三)
247 群馬県教育委員会 『一之宮貫前神社調査報告』 一九七八(昭和五三)
248 井口一幸 『吾妻の国物語』 一九七八(昭和五三)
249 段煕麟 『日本に残る古代朝鮮』関東編 一九七八(昭和五三)
250 近藤義雄・丸山良知(編著) 『上州のお宮とお寺』神社編 一九七八(昭和五三)
251 甘楽町史編纂委員会 『甘楽町史』 一九七九(昭和五四)
252 菊地 仁 「辛科大明神御縁起・翻刻」(『民俗と文献』第三輯) 一九七九(昭和五四)
253 徳田和夫 「辛科大明神御縁起・解題」(『民俗と文献』第三輯) 一九七九(昭和五四)
254 土屋長平 「多胡碑解剖」(『群馬歴史散歩』三三) 一九七九(昭和五四)
255 小野勝 「羊太夫と尾瀬の八束」(『群馬歴史散歩』三三) 一九七九(昭和五四)
256 小峯茂久 「多胡碑の里」(『群馬歴史散歩』三三) 一九七九(昭和五四)
257 菊地宗吉 「多胡碑文中に見える人物」(『群馬歴史散歩』三四) 一九七九(昭和五四)
258 住谷 修 「上野の国分寺瓦」(『群馬歴史散歩』三七) 一九七九(昭和五四)
259 茜 史朗 「多胡郡新設と帰化人史観」(『日本のなかの朝鮮文化』四二) 一九七九(昭和五四)
260 上田正昭(他) 「座談会上毛野古代文化」(『日本のなかの朝鮮文化』四二) 一九七九(昭和五四)
261 藤野雅之 「上野三碑とその周辺 ー第23回日本のなかの朝鮮文化遺跡めぐり」『日本のなかの朝鮮文化』四二) 一九七九(昭和五四)
262 吉井町教育委貝会 『ふるさとの文化財』 一九八〇(昭和五五)
263 尾崎喜左雄 『上野三碑の研究』 一九八〇(昭和五五)
264 伊藤新一 「東国二碑の周辺 ー多胡碑と那須国造碑の比較ー」(『武蔵野女子大学紀要』一五) 一九八〇(昭和五五)
265 群馬県史編集委員会 『群馬県史』資料編二七 一九八〇(昭和五五)
266 白石元昭 『関東武士上野国小幡氏の研究』 一九八一(昭和五六)
267 小川喜紀 「上州八家めぐり(七)小幡氏」(『群馬歴史散歩』四八) 一九八一(昭和五六)
268 前沢和之 「貞観十三年安倍朝臣小水磨経をめぐって」(『群馬県立歴史博物館紀要』二) 一九八一(昭和五六)
269 東野治之 「上野三碑管見」(『群馬県史研究』一三) 一九八一(昭和五六)
270 堀口喜太郎 『秩父路物語』 一九八一(昭和五六)
271 井上 清 『多胡碑二十話』 一九八一(昭和五六)
272 樋口秀次郎 『榛名町の伝説』 一九八一(昭和五六)
273 綱野善彦 「桐村家所蔵『大中臣氏略系図』について」(『茨城県史研究』四八) 一九八一(昭和五六)
274 梅原猛 「塔」(『梅原猛著作集』九) 一九八一(昭和五六)
275 前沢輝政 『毛野国の研究』上・下 一九八二(昭和五七)
276 上田正昭(他) )『古代東国の謎に挑む』 一九八二(昭和五七)
277 森郁夫 「古瓦から見た群馬の古代寺院」(『群馬歴史散歩』五二) 一九八二(昭和五七)
278 梅沢重昭 「群馬県地域の埴輪人物像」(『群馬歴史散歩』五二) 一九八二(昭和五七)
279 早川光三郎 「赤城百足のルーツ」(『群馬歴史散歩』五四) 一九八二(昭和五七)
280 井上嗣雄

「群馬の古代寺院建立の技術者集団」(『群馬歴史散歩』五六)

一九八三(昭和五八)
281 山田英二 『秩父歴史散歩』 一九八三(昭和五八)
282 荒竹清光・白石元昭(他) 『多 胡 碑』 一九八三(昭和五八)
283 田熊信之 『上毛多胡郡碑』 一九八三(昭和五八)
284 中西慶爾 『訪 碑 紀 行』 一九八三(昭和五八)
285 神田耕二 「多胡碑の成立とその背景」(『政治経済史学』二〇〇) 一九八三(昭和五八)
286 仲川恭司 「多胡碑考察」(1)(『専修国文』三二) 一九八三(昭和五八)
287 斎藤忠(編) 『古代朝鮮・日本金石文資料集成』 一九八三(昭和五八)
288 都幾川村調査委員会 『都幾川村の史跡と文化財』 一九八三(昭和五八)
289 今井幹夫 「山岳信仰 稲含山」(『群馬歴史散歩』六五) 一九八四(昭和五九)
290 唐沢定市

「赤城山と赤城の神」(『群馬歴史散歩』六五)

一九八四(昭和五九)
291 関口正巳 「山岳信仰 御荷鉾山」(『群馬歴史散歩』六五) 一九八四(昭和五九)
292 日本家系家紋研究所 『多胡・多湖・田子一族』 一九八四(昭和五九)
293 近藤義雄 「上野の古代・中世の仏教文化」(『歴史手帳』一三三) 一九八四(昭和五九)
294 田島桂男 『日本の古代遺跡』一七 群馬西部 一九八四(昭和五九)
295 富岡市史編纂委員会 『富岡市史』民俗編 一九八四(昭和五九)
296 前沢輝政 『東国の古墳』 一九八五(昭和六〇)
297 深沢 武 『甘楽野今昔物語』 一九八五(昭和六〇)
298 群馬県史編纂委員会 『群馬県史』資料編四 一九八五(昭和六〇)
299 高野高明 『羊太夫のはなし』 一九八五(昭和六〇)
300 茜 史郎 『古代東国の王者 上毛野氏の研究』 一九八五(昭和六〇)
301 仲川恭司

「多胡碑考察」(2)(『専修国文』三六)

一九八五(昭和六〇)
302 群馬県歴史博物館友の会(編) 『古墳めぐりハンドブック』 一九八六(昭和六一)
303 金井塚良一(他) 『討論 古代の群馬・埼玉』 一九八六(昭和六一)
304 白石元昭 「貫前神社と一宮小幡文書 ー上野国小幡氏の研究補遺第二報ー」(『群馬文化』二〇六 一九八六(昭和六一)
305 関口功一 「大宝令制定前後の地域編成政策」(『地方史研究』二〇一) 一九八六(昭和六一)
306 坪井清足(監修) 『図説 発掘が語る日本史』二 関東・甲信越編 一九八六(昭和六一)
307 堀口育男 「羊太夫説話伝承考」(『伝承文学研究』三二) 一九八六(昭和六一)
308 堀口育男 「『羊太夫物語』二本」(『伝承文学研究』三三) 一九八六(昭和六一)
309 金子鴎亭 「好太王碑の書について」(『書道研究』創刊号) 一九八七(昭和六二)
310 井上秀雄 「古代朝鮮金石文としての好太王碑」(『書道研究』創刊号) 一九八七(昭和六二)
311 水野祐 「仮屋上遺跡出土錘車の『羊』について」(『東アジアの古代文化』五〇) 一九八七(昭和六二)
312 久保田順一 「西上野における公領・荘園と在地領主」(『群馬文化』二〇九) 一九八七(昭和六二)
313 井上 清 『羊 大 夫 二十話』 一九八七(昭和六二)
314 吉井町郷土資料館友の会 『吉井町郷土資料館案内』  
315 沢田キミエ 『群馬と額部の庄小幡羊太夫』  

狩谷[木夜]斎の[木夜]は、木編に夜。JIS第3水準ユニコード68DE
川口[羽/高]氏の[羽/高]は、羽の下に高。JIS第4水準ユニコード7FEF
[木勝]島福七郎氏の[木勝]は、JIS第3水準ユニコード6A73
松田[金貫]氏の[金貫]は、金編に貫。JIS第3水準ユニコード93C6


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解説 多胡碑の「羊」と羊太夫伝承 (『市民の古代』第12集)へ

多元史観の新発見 古田武彦講演録(『市民の古代』第9集)へ

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