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古田武彦とともに 創刊号 1979年 7月14日 古田武彦を囲む会編集

古田先生との出会い

高田かつ子

 その頃、うつうつとしていた私に「君むきの企画があるよ」といって夫がさし示してくれた新聞記事に、北九州古代史の旅の案内がのっていた。講師の古田武彦という名前にはなじみがなかった。ぐずぐずしている私を追い立てる様に旅立たせてくれたのには夫のつぐないの意味があったのだと思う。二・三ヶ月前、朝日ゼミで邪馬台国の講座がひらかれた時、何やかや難色を示し、受講をあきらめさせた負い目が、今度は寛大な位のやさしさとなってあらわれたのだろう。
 五十一年の七月の事である。遠足の前の晩はねられないくせの私は、寝台車の中でも、博多からの船の中でも、ねられず寝不足のはれた目をして、日ざしのようやく強くなった壱岐におりたち、始めて古田先生にお目にかかったのである。その時には、別段何の印象も持たず、バスにのり込んだのであるが、それからが、めざましい古田先生の独壇場であった。アイデアの段階ですが、との前おきで次から次へと奇想天外なお話の連続、聞いていて半分もわかりはしなかった。何しろ、神話はつくり話で、神武天皇は存在せず、倭人伝は誇張されている。と信じていた当時の私だったから。倭人が太平洋を渡ってアメリカ大陸へ行ったなんて、一体どこの国のお話かと、肝をつぶしたものだった。バスの中で、夜、食事の終った後でと、先生は精力的に語りかけて下さった。どんなつまらない質間にも、親切に答えて下さる先生に、人柄のやさしさを感じたのは私一人ではなかったろうと思う。台風にとじこめられて、壱岐に二日とどまり、福岡、糸島、前原、湯布院と強行スケジュールの中で、はち切れそうになる程の新知識を頭につめ込まれて、五日間の充実した旅は終った。
 東京に帰って来てから、早速本屋に行き、古田武彦著とある本を全部買って来て、かたっぱしから読んだ。“「邪馬台国」はなかった”“失われた九州王朝”“盗まれた神話”“邪馬壹国の論理”青天のヘキレキとはまさに、この事。眼からウロコがおちるとは、こんな状態を云うのではないだろうか。今までの古代史とは、こんなにも間違いだらけだったのか。そして本当の古代史は、こんなにも面白いものだったのか。旅の間、よくわからなかった事が一ぺんに納得できた。
 思いつきとか、はったりとかは一つもなく、史料をコツコツ、コツコツひたすらコツコツ調べあげていった記録の集成、篤実な人柄が、行間ににじみ出ている。地昧に着実に書き続けていったものが、いつの間にか、壮大なロマンの世界を現出している、といった感じなのだ。直前に読んだ松本清張の古代史疑も、もろもろの学者達の定説も、みごとに反論され、否定されている。反論の仕方も、私の心に納得のいく方法でなされているのである。
 私は古田先生の本を読み、人間の生き方について教えられた様な気がした。「不思議に思う心」と「なっとくする心」だけをたよりに、素直に理性的に史料を解読してゆきたいとする先生の生き方には、思いあがりもないし、高慢さもない、ただし、真実をおおいかくす権威の前には、大いに立ち向ってゆこうとされる。そんな先生を蟷螂の斧にさせてはならないのだとつくづく思った。先生が、女王国のとりこになった如く、私は古田武彦のとりこになってしまったのである。
 しかし、読みづらかった。漢和辞典を傍においての悪戦苦闘の連続であった。声優だった事もある私には、一つ一つの言葉を音に出して理解するくせが抜けない。言葉に出して読んでみないと先にすすめないのである。実際に声に出して読むわけではないが、読めない単語にぶつかると落着かないのだ。それで辞書の登場となるわけだが、私の持っている中辞典程度ではのっていない字もあり仲々苦労した。固有名詞は、先生の主義からいつて決定しかねる訓みもあると思うが、なじみのない漢字には、ぜひルビをふって項きたいとつくづく思った。私の友人で、盲人のために本を読んでテープにとる奉仕活動をしている人がいるが、もし先生の本を読んであげたいと思っても、点字ならともかく、声のライブラリーとしてはとてもムリな事だと感じないわけにはいかなかった。残念な事の一つである。
 先生の講演会を知らせる往復葉書を受取ったのは、その年の九月まだ暑いさかりであった。「楽しい九州旅行でした」の一行に、胸が暖かく包まれた様に思えた。三田の勤労福祉会館で再び先生にお目にかかり、感激をお伝えしたくて、声をうわずらせて御挨拶したのをおぽえている。
 その時の題は、
   「幻の倭国大乱」であった。


 これは参加者と遺族の同意を得た会報の公開です。史料批判は、『市民の古代』各号と引用文献を確認してお願いいたします。
新古代学の扉 インターネット事務局 E-mailsinkodai@furutasigaku.jp

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