<注>


 (8)「日本」の由来について

「なぜ、博多湾岸に『ヒノモト』という字(あざ)地名が集中しているのか。」この間いについての回答を箇条書きしてみます。

(一)高祖山連峰の「日向(ひなた)」は、“日の彼方”の意味です。その「日向の下に当たるところ」それが「ヒノモト」なのでしょう。

(二)高祖山の西側には「平原遺跡」があります。故・原田大六氏が生涯の情熱を傾けた遺跡です。氏がこの地を“太陽信仰の聖地”として強調していたことは有名です。
 わたしは「平原(ひらぱる)」の「平」は「日羅(ひら)」であろうと思います。なぜなら、原野は“平たい”のは当り前ですから、ことさら“平たい原っば”と言うはずはありません。

従って「日羅」というのは縄文以来の古い聖地であり、そこに新しい侵略の王者が、自分たちの権力の象徴を〃打ち立てた〃のです。いわば、古い聖地を〃否定〃しようとしたのです。代わって、自分立ちの「死者の墓」を建てたのです。自分たち、新しい権力者の墓地に〃変えた〃のです。

 (三)なぜ、この地が〃太場の聖地〃つまり「太陽を祭る場」とされたか。これが肝心の間いです。
 その回答は、この糸島平野を見おろす、南側の雷山が支持しています。この山には、天から降りてきた、という名前(と伝承)をもつ巨石があります。
 そしてその下に当る糸島平野や筑後平野には「天降(あまお)り神社」が広く分布しているのです。(灰塚・鬼塚敬二郎氏の指摘)
 このような[天降り伝承」をもつ巨石信仰その一端にあるもの、それが「ヒノモト」の地名だと思われます。ですから、この「ヒノモト」という地名は、旧石器・縄文時代にさかのぽる、太陽信仰の信仰圏のしるしなのです。のちに「倭国」が「国ゆずり」と「天孫降臨」といわれる「侵入」を行ったのは、このような古代信仰圏に対する、新しい時期のものでした。
 その新しい時期とは、「前末、中初」(弥生時代の前期の末、中期のはじめ)です。博多湾岸などでは、考古学的出土物の姿が、一変しています。「三種の神器」が出現するのは、これ以降なのです。(「神器」は日本書紀では「宝物」藤田友冶氏が指摘 )
 その時期は、従来は「BC一世紀初」頃と考えられていましたが、或いはもっと〃さかのぼる〃かもしれません。
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制作 横田幸男
著作 古田武彦