古賀達也の洛中洛外日記
第479話 2012/10/07

皇室御物『法華義疏』の史料性格

 九州年号「定居元年」が記された『維摩経義疏』断簡の存在を服部和夫さん(古田史学の会々員・名古屋市)から教えていただいたことを契機に「三経義疏」の勉強を始めたのですが、ますますわからないことが増えています。わたしの勉強の「成果」でもある、その増えた問題について、ちょっとだけご紹介します。
 それは古田先生が実地調査された皇室御物『法華義疏』の史料性格についてです。聖徳太子や「三経義疏」関連の著作を購入し読んでいるのですが、『法華義疏』の史料状況や史料性格について更に深く検討する必要を感じるようになりました。
 たとえば、中公クラシックス『聖徳太子 勝鬘経義疏・維摩経義疏(抄)』の解説(田村晃祐「『三経義疏』の世界」)によれば、『法華義疏』には訂正や誤字が多く、その頻度は「2.5行に一カ所ぐらいの割合で訂正が行われている」とのことです。具体的には、「釈迦」と書くべきところが「迦釈」と文字がひっくり返っている例もあります。この他にも仏教のことを知っていれば間違うはずのない基礎的な誤字・誤写が少なくなく、このような史料状況から、『法華義疏』は達筆だが仏教のことに詳しくない人物により慌てて書写されたということがうかがえるのです。
 これほどの誤写や訂正が多い『法華義疏』が九州王朝の天子・多利思北弧への献上物(収集物)にふさわしいと言えるでしょうか。天子に献上する前に、書写者や王朝内部で浄書すればよいのにと思うのですがいかがでしょうか。大和朝廷と同様に九州王朝にも「写経所」や写経専門家がいたはずです。なぜそうした「専門機関」を多利思北弧は利用しなかったのでしょうか。わたしはこの難問を解くべく連日考え続けています。(つづく)


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