古賀達也の洛中洛外日記
第462話 2012/09/03

通古賀の王城神社

 九州歴史資料館を見学した後、太宰府市に戻って、通古賀(とおのこが)の王城神社・清明井・観世音寺・榎寺・大野城百間石垣・国分寺跡・大字大裏・水城跡などを見学しました。弟の直樹はこのあたりの地理にやたら詳しく、おかげで短時間のうちに要領よく廻れました。
 大野城にも初めて登ったのですが、その土塁や石垣の規模は想像以上でしたし、水源の豊富さにも目を見張りました。これならば多くの人々が長期間籠城できると思いました。さすがは九州王朝の都を守る日本列島屈指の山城と言えます。
 通古賀の王城神社でも貴重な「発見」がありました。同地区は筑前国府の有力候補地であり、「古賀」地名も「国衙(こくが)」に由来すると見られています。そして、神社の説明が書かれた看板には、この神社の始まりを天智4年(665)に都府楼が造営された時とあったことに驚きました。大宰府政の造営年代を665年のことと伝承されているのです。
 この天智4年(665)の都府楼造営説は船賀法印(江戸時代の僧侶らしい)による「王城神社縁起」からの引用とのことで、同縁起を何としても見てみたいものです。都府楼を「天智天皇による造営」とする現地伝承はいくつかの古文献に見えるのですが、天智4年のことと具体的年次が記されたものは初めて見ました。
 わたしは九州王朝の宮殿である大宰府政庁2期遺構(創建瓦は主に老司2式)の造営を、観世音寺創建時期(白鳳10年、670年。創建瓦は老司1式)との関連から、同時期か少し遅れる時期と考えていましたが、王城神社の伝承では、逆に観世音寺よりも少し早い時期ということになります。いずれにしても、白鳳年間創建という大枠は揺るぎませんが、両者の前後関係は引き続き検討しなければならないなと感じています。


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