古賀達也の洛中洛外日記
第430話 2012/06/24

太宰府「戸籍」木簡の「兵士」

 今回の出土で注目された「戸籍」木簡ですが、わたしはそこに記された「兵士」という文字に強い関心を抱きました。この二文字は九州王朝研究にとって重要な問題を持っているからです。
 九州王朝末期における列島内のパワーバランスを左右する要素として、白村江戦後に筑紫に進駐した数千人にも及ぶ唐の軍隊はいつ頃まで倭国に滞在したのかという問題があるのですが、『日本書紀』では天武元年五月条(672年)に唐軍の代表者である郭務宗(りっしんべん+宗)等の帰国を記してはいますが、その時全ての唐軍が帰国したかどうかは不明でした。古田学派内では唐軍はその後も長期間筑紫に駐留したと理解されてきたようですが、特に明確な史料根拠に基づいていたわけではありませんでした。
 このような研究状況の中で、今回の「戸籍」木簡にある「兵士」の二文字は、685〜700年において、「徴兵制度」を維持、あるいは再開していたことを示しているからです。ということは、この時期に唐軍が筑紫に駐留していたとするならば、九州王朝倭国の武装解除をせずに、徴兵を容認していたことになります。これでは何のために唐軍は筑紫に駐留していたのか、その意味がわからなくなります。逆にこの時期、唐軍は既に帰国しており、筑紫にいなかったとすればこの矛盾は解消されるのです。
 どちらが歴史の真実かはこれからも研究と考察を続けたいと思いますが、「戸籍」木簡の「兵士」の二文字は、「既に唐軍は帰国していた」とする仮説成立の可能性を示しているのです。(つづく)


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