古賀達也の洛中洛外日記
第416話 2012/05/25

日蝕(は)え尽きたり

 21日の金環食を見られた方は多いと思いますが、わたしも出勤前に拙宅の二階の窓から、東山の上で起きた世紀の天体ショーを観察することができました。その後、自転車で勤務先に向かったのですが、都大路や路地(ろーじ)でたくさんの人々が一斉に空を見上げている光景に、なんだか幸せな気分になりました。ホテルの玄関先でも修学旅行生たちが大勢で日食を見ていましたが、京都での金環食は良い思い出になったのではないでしょうか。また、御池通りの並木の木漏れ日が、歩道に無数の三日月状となっていたことにも感動しました(ピンホールカメラの原理による)。
 わが国最初の日食記事は、「日本書紀」推古28年(620)三月条に見えます。「日蝕(は)え尽きたり」と記されており、「尽きたり」とありますから皆既日食のようです。岩波新書『星の古記録』斉藤国治著(1982年刊)によれば、この時の日食は奈良県飛鳥では最大食分0.93ほどで、皆既日食ではなく、「尽きたり」というのは「単なる文飾」とされています。ところが、第263話(「古代天文学」の近景)でご紹介しました谷川清孝さんらの論文「七世紀の日本天文学」(『国立天文台報』第11巻3・4号、2008年)によれば、推古28年の日食は最新の計算(微調整)によれば皆既日食であるとのことです。
 このように最新科学(天文学)の成果による文献史学へのサポートは、歴史研究に大きな貢献を果たしており、ありがたいことです。なお、推古28年条の日食観測は奈良県飛鳥で行われたものか、九州太宰府で行われたものかという興味深いテーマを内包しているのですが、更なる天文学の発展により将来解明されるかもしれません。楽しみな課題です。


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