古賀達也の洛中洛外日記
第391話 2012/03/03

和田家文書の「稲作伝播」伝承

 第370話「東北水田稲作の北方ルート伝播」で佐々木広堂さんらの論文をご紹介しました。東北地方への稲作は沿海州から伝播したという説ですが、その佐々木さんから一枚のファックスが届きました。その中で、東北への稲作が九州からではなく、中国から伝わったとする伝承が和田文書に記されていることが指摘されていました。
 このことを既に佐々木さんは『古代に真実を求めて』第9集(明石書店、2006年)に掲載された「東北(青森県を中心とした)弥生稲作は朝鮮半島東北部・ロシア沿海州から伝わった ーー封印された早生品種と和田家文書の真実」で発表されています。わたしはその論文の内容の詳細を忘れていたのですが、佐々木さんからのファックスで紹介していただき、再読しました。
 同論文によれば、和田家文書の『東日流六郡誌大要』(八幡書店、554頁)に次のような記事があります。
 「耶馬台族が東日流に落着せしは、支那君公子一族より三年後の年にて、いまより二千四百年前のことなり。〜彼等また稲作を覚りし民なれど持来る稲種稔らず。支那民より得て稔らしむ。」
 津軽に耶馬台族の持ってきた稲は実らず、支那の民より得た稲は実った、という記事ですが、おそらく日本列島の西南部(近畿か九州)から伝来した稲は寒さで実らず、支那(大陸)の稲は早生種であったため、寒い津軽でも実ったという伝承が記されているのです。弥生時代の青森へ、大陸の早生種が伝来したという佐々木さんの説と同じことが和田家文書に記されていたのです。
 もちろん、和田家文書にはこの他にも津軽への稲作伝来に関する様々な異説が記されていますが、それらの中に佐々木さんの研究結果と同じ伝承が残っていたことは驚きです。稲作の伝来一つをとっても、和田家文書の伝承力・記録量は素晴らしいものがあります。偽作論などに惑わされることなく、学問的な和田家文書の史料批判と研究が期待されます。


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