古賀事務局長の洛中洛外日記
第40話 2005/10/29

古層の神名「ち」

 白川靜さん(立命館大学名誉教授・京都市在住)が字書三部作(『字統』『字訓』『字通』)を十三年半の歳月をかけて完成させたのは、1997年の頃だったと思いますが、本年10月15日の京都市自治記念式典に於いて、名誉市民の称号が贈られました。明治43年生まれの95歳。お元気で何よりです。
 白川さんの字書には古代史の研究でお世話になったことがあります。『史記』に「魑魅(ちみ)を御(ぎょ)す」とありますが、この魑魅とは「魑魅魍魎(ちみもうりょう)」の魑魅です。古田先生の考えによると、これは『古事記』『日本書紀』の神名に見える「ち」と「み」ではないかということです。
 神様の名前には、イザナミやオオヤマヅミのように「み」を名乗る神様と、ヤマタノオロチ、テナヅチ、アシナヅチ、オオナムチ、ミズチのように「ち」を名乗る神様があり、「ち」が「み」よりも古層の神名であることが、先学の研究により明かとなっています。この「ち」と「み」が魑魅の語源と共通するのではないかということなのです。
 ですから「魑魅を御す」とは東夷の神々とそれを祀る民を服属させたという意味があるのではないかと考えられます。ところが、先の白川さんの研究によれば「御」の本来の字義は「祀る」とのこと。とすれば、「魑魅を御す」とは東夷の神々を祀ったという意味にもとれます。日本列島の神名と思われるものが中国史書に現れるという、面白いテーマではないでしょうか。(つづく


1997年 6月16日            古田史学会報20号

〔 本の紹介〕 □ □ □ □ □ □ 《古賀達也》
  
白川靜、字書三部作完成にさいして
 漢字学の碩学、白川靜氏(立命館大学名誉教授)が十三年半の歳月をかけて、『字統』『字訓』『字通 』の字書三部作を完成させたことが話題になっているが、これら三部作は無理としても、白川漢字学に触れてみたいという方のために、次の本を紹介する。
 『漢字百話』 (中公新書)。白川氏によれば、「三千年も前の甲骨文を、そのまま後世の文献と同じように我々が読んで理解できるというのは、他の言語系・文字の体系の中では考えられない」という。そうした漢字の通 時性が理解できる白川漢字学の普及書とも云うべき一冊である。値段も手ごろ。古代史研究にも多くの示唆を与えてくれる。
 例えば「御」は、祭るという意味が本来の字義とのこと。とすれば「魑魅を御す」とは、魑魅をおさめる、と読むほか、魑魅を祭るとする理解も可能だ。漢字はかくも面 白い。
 『孔子伝』 (中公叢書)。俗流論語解説書やサラリーマン向けの孔子伝が跋扈する昨今だが古代人としての孔子と古代思想としての儒教に肉迫した本書は、数在る孔子伝中白眉である。儒教思想が本源的に持つ革命性や呪術性、思想の「毒」とも云うべきダイナミズムをきれいさっぱりと欠落させ、体制や時流に無批判で迎合する俗流論語解説本が「知的シリーズ」とやらで巷に溢れる中、白川靜のこの『孔子伝』は真実の孔子や古代思想に迫ろうとする者には必読の書と、あえて言い切ろう。また儒者への批判者としての荘子や墨子にもふれており、理解を助ける。
 『詩経』(中公新書)。 『詩経』は古くは『詩』と呼ばれており、宋以降詩経といかめしい名前で呼ばれるようになったという。そのような儒教思想的解釈で歪められた詩経を白川漢字学により古代歌謡本来の姿で蘇らせたのが本書だ。「平成」の出典でもある詩経は、わが国の古代歌謡にも大きな影響を与えた。『詩経』序に「詩は志の之(ゆ)くところ」といい、『古今集』の序にはそれを承けて、「生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける」という。
 孔子は周公を聖人として崇めたが、『詩経』には周の支配搾取に喘ぐ亡殷の民の歌が少なくない。孔子はこのような歌をどのような気持ちで読んだのであろうか。『詩経』が儒教の聖典四書五経に加えられ、今日まで伝えられたという意味では誠に幸いであった。

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