第三回古代武器研究会を傍聴して

古田史学論集『古代に真実を求めて』 第五集 二〇〇二年掲載予定 明石書店

古田史学会報
2002年 2月 5日 No.48


第三回 古代武器研究会を傍聴して

生駒市 伊東義彰

 

日時 平成十四年一月十三日
   九時三十分~十六時

会場 滋賀県立大学交流センター研修室

参加者 古田先生、古賀達也氏、木村賢司氏、伊東義彰


  はじめに

 古代武器研究会は一月十二日・十三日の二日間にわたって開催されましたが、両日とも参加されたのは古田先生だけで、小生以下三名は十三日のみ傍聴致しました。
 ポスターセッションに出展されるため、開会時間より早めに着いて準備する必要があり、早朝七時に近鉄西大寺駅で待ち合わせをし、名神高速を走って九時頃に到着しました。わたしが京都の地理に不案内のため、早朝から奈良の西大寺まで出向いていただくことになり、大変恐縮すると同時に、先生のいつもと変わらぬ元気なお姿を拝見して、改めて気持ちを引き締めた次第です。木村さんは前日から近江舞子に所有されている別荘の手入れに来ておられたとかで、会場で合流しました。
 傍聴した感想を書いて欲しいと古賀さんから依頼されたものの、わたしの非才では微に入り細にわたる専門家の研究発表を理解するのはいささか困難で、加えて、まことに失礼ながら発表者の全てが話し上手とは限らず、とてものことに内容を把握するまでには至りませんでした。あしからずご了承下さい。


  研究発表

『Spangenhelm and Scale Armour ─日本古墳時代に相当する西アジア─欧州の武具概観』
 濱田英作(国士舘大学 アジア・日本研究センター)

*資料 英国Osprey Publishing Ltd,刊行の“メン・アット・アームス”シリーズによる、古代兵器の考証と復元。と題し、Osprey seriesの概要を十九頁に及ぶ英文で掲載、民族と世紀ごとに騎馬兵の挿し絵あり(恥ずかしながら翻訳するだけの英語力を持ち合わせておりません)。

*内容 上記英文の要所と思われるところを解説、その上で自説を簡単に述べておられました。
1). Spangenhelmー留め金付き兜(複数の鉄板を留め金で繋いだもの)。
2). Scale Armourー魚鱗甲(ぎょりんこう)。皮革などの胴着に小札を一面に縫いつけた鎧。
3). Lmellar Quirssー層状重ね鎧。小札を革ひもなどで繋いだ桂甲状の鎧。
4). ラメラー・クィラスは日本の古墳時代の桂甲に、シュパンゲンヘルムは同じく眉庇付冑に相当する。
5). 従来説によると、武具や武器は、地域ごとの必要性に応じて生まれ発展してきたものとされており、地域を超えた共通性があったとしても、それは必要性から生じた偶然に過ぎないと考えられている。しかし、鎧、兜などに地域を超えた共通性が見られるのは、北方民族が南方の帝国を侵略し始めた結果であって、北方民族の武具・武器などが広く南方の帝国に伝わったものである。

*感想
1).  世紀別の西アジア(パルチア、ササン朝など)やヨーロッパ(ゲルマン諸族)の重装騎兵の挿し絵からは、日本の古墳時代に相当する世紀の鐙が確認できませんでした。
2).  挿し絵の騎兵たちは何故か弓矢を携帯していません。日本の古墳からは銅製や鉄製の鏃が数多く出土しています。重装備の騎兵には必要ないのでしょう。
3).  日本の古墳からは、鉄板(三角板や長方形板)を鋲留めしたり、革ひもで綴じた短甲が数多く出土していますが、挿し絵の騎兵は全て小札(魚鱗甲にせよ、層状重ね鎧にせよ)を用いた鎧ばかりでです。
4).  磐井の事件が英文で紹介されているのに驚きました。眉庇付冑と桂甲を着用して立っている二人の武人と馬を描いた挿し絵があり、一人は首から足首まで桂甲で覆われています。おそらく騎乗者のつもりなのでしょう、桂甲製の膝鎧・臑当とでも言うべきものを着けています。浅学ゆえに未だ古墳時代の桂甲製臑当や膝鎧を見たことも出土例を聞いたこともありませんが、相川考古館所蔵の武装人物埴輪がそれらしいものを着用しているようでした(写真で確認)。もう一人は足には桂甲を着けておらず、裾の開いた短いスカートのような草摺を着けており、これでは草摺が邪魔になって馬に乗れませんから、おそらく歩兵のつもりかと思われます。しかし、桂甲をまとった姿はかなりの重装備ですから、これで行軍や敏捷な動きが必要な戦闘に適しているとは思えません。転んだら起きあがるのも大変でしょう。さらに、二人とも当時の最強の武器であったはずの弓を携えていませんでした。日本では弓を携え靫を背負った武人埴輪が数多く見つかっています。前述の武装人物埴輪も左手に弓を持ち靫を背負っています。
 尚、日本の古墳からは鎧の一部である草摺や綿噛が、埴輪には装着されているのに、何故か出土しません。おそらく革などの有機物で造られていたものと考えられています。
5).  日本の古墳時代に重装騎兵軍団や密集重装歩兵軍団が存在したとは考えられません。



『弥生時代の銅鏃の地域性と変革』
 高田健一(鳥取県教育委員会文化課)

*資料
 弥生時代銅鏃の鋳型とその製品の図
 弥生時代銅鏃の未成品の図
 古墳時代初期の銅鏃の図
 弥生時代銅鏃の分布図

*内容
1).  銅鏃はその形状によって紡錘形・無逆刺三角形・有逆刺三角形・柳葉形・短茎形など種類も多く、地域によってそれぞれ特徴を持っているが、概して言えば、先の尖って(鋭角)いるものが中心で、古墳時代初期のものと比べて若干小型のものが多いようである。
2).  出土した未成品や鋳型から、何本もの鏃の型を連ねた鋳型(連鋳式)で鋳造したことがわかる。
3).  銅鏃の成分は、錫や亜鉛の含有量が極めて少なく、良質なものとは言いがたい。
4).  古墳時代初期のものは、錫や亜鉛の含有量(二〇%前後)が多くなって持続性や殺傷力がかなり高くなり、埋葬用の装飾品と言うよりは実用品であったと思われる。 
5).  古墳時代の鉄鏃は茎が異常と思われるぐらい長くなっている。

*感想  わたし(筆者)が訊きたかったのは、初期古墳から出土する銅鏃が副葬用につくられた装飾品か、あるいは実用品が副葬されたものかと言うことでした。橿原考古学博物館に展示されているメスリ山古墳出土の銅鏃の、そのあまりの白い輝きと鋭く研ぎ澄まされた刃が副葬用だけにつくられたものとはとても思えなかったからです。革甲などは苦もなく突き抜けて肉や骨まで切り裂く殺傷力があると感じました。今日はそれが確認できました。


『甲冑と甲冑形埴輪』
 藤田和尊(御所市教委句委員会)

*資料 各地の各種甲冑形埴輪と石人六八体の図
 甲冑形埴輪の写実度認定基準とそれに基づく分類一覧表

*内容
1).  古墳時代中期の甲冑形埴輪については、有機質製の甲冑を写したものが多いとの主張に対する反論。
2).  有機質製の甲冑を写したものが多いとすれば、首長層は古墳に副葬された鉄製甲冑以外にも有機質製の甲冑も所有し、着用していたことになるが、果たしていかがなものか。
3).  有機質製の甲冑と見えるのは、甲冑形埴輪制作者の甲冑に対する馴染みの多寡によって、写実度の高低に差が生じる場合があるのではないかと考える。
4).  前記資料を指摘しながら説明。中期前葉の甲冑形埴輪の写実度は低い場合が多く、時期が下るに連れて高い場合が多いことが判明。百舌鳥・古市古墳群や日向・上野など、甲冑の集中管理体制(?)を想定し、甲冑保有率(?)の高い地域では原則として時期を問わず写実度が高い。逆に甲冑保有率の低い豊後・因幡・美作・丹後などの地方では写実度の低い甲冑形埴輪が目立つ。
5).  甲冑形埴輪は、その製作者の甲冑に対する馴染みの多寡によって写実度の高低に差が生じている。このことは、革製草摺などを除く有機質製甲冑の存在に否定的要素となる。

*感想
1).  革製衝角付冑や有機質製草摺を除く有機質製甲冑の存在しないことを、甲冑形埴輪の写実度の高低によって立論しようとされているようでした。
2).  豊後の日田石人や日塚石人は短甲と草摺を備えているが、冑がない。これを以てこの古墳の主は生前に冑を持たない武装をしていたのではないかと推測しておられたが、弓矢や刀槍の戦闘で人体のもっとも大事な首から上を防御しないなど考えられないし、さらに上級の支配者から戦闘への参加を命じられたとき、冑のない武装で従軍したのだろうかとの疑問を感じざるを得ません。
3).  写実度の低い例として、因幡の長瀬高浜の埴輪には頸鎧がなく、帯金と地板の区別が全くないことを上げておられました。しかし、錣を装着した衝角付冑や肩鎧・草摺などはかなり丁寧につくられています。
4).  埴輪や石人をつくるとき、甲冑に馴染みの薄い製作者であるほど現物を何度も確かめながら作業したのではないでしょうか。甲冑姿の特に強調したいところがあって、不必要(あるいは邪魔)なところを省いたように思われてなりませんでした。 


 原稿枚数の都合により、以下は割愛します。

『日本列島の初期の馬具生産』
 千賀 久(奈良県立橿原考古学研究所附属博物館)

『木製鐙の話題』
1). 「纏向遺跡出土の木製輪鐙」橋本輝彦(桜井市立埋蔵文化財センター)
2). 「湖北の馬事文化について」西原雄大(長浜市教育委員会)
3). 「蔀屋北遺跡出土の木製鐙」宮崎泰史(大阪府教育委員会)


  討論会

 二十名近くの武器・武具・馬具の専門家が参加。特に決まったテーマ無し。
 発掘された豪族の館跡やその周辺に防御施設らしいものがほとんどない、との議論の後、古田先生が「古代の軍事要塞である神籠石についても議論を深めて欲しい」と発言されましたが、何の議論もないまま終了してしまいました。


  ポスターセッション
1).  野洲町甲山古墳と円山古墳出土武器(野洲町教育委員会)

2).  長浜市神宮寺遺跡出土木製鞍・鐙、金剛寺遺跡出土木製鐙(長浜市教育委員会)

3).  桜井市箸墓古墳出土木製鐙(桜井市教委区委員会)

4).  四条畷市蔀屋北遺跡出土木製鐙(大阪府教育委員会)

5).  仙台市藤田新田遺跡出土木製鐙(東北歴史博物館)

6).  古代の軍事要塞─考古学の遠近法(神籠石の写真)─(古田武彦)


追記 休憩時間には、古田先生の展示の前に大勢の人が集まり、段ボール箱一杯に用意していった資料がほとんど捌けてしまいました。参加者の関心がかなり高かったと確信しています。尚、1). の甲山古墳と円山古墳(ともに横穴式石室で六世紀前半)の石棺は、ともに九州産の阿蘇ピンク石で造られています。


 これは会報の公開です。史料批判は、『新・古代学』第一集〜第四集(新泉社)、『古代に真実を求めて』(明石書店)第一〜六集が適当です。(全国の主要な公立図書館に御座います。)
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