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「春過ぎて夏来るらし」考 正木裕(119号)


古田史学会報
1998年 6月10日 No.26
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染色化学から見た万葉集

紫外線漂白と天の香具山

京都市 古賀達也

 いきなり私事にわたること、お許しいただきたい。小生の勤務先は山田化学工業(京都市南区)といい、色素・染料メーカーである。そこの研究開発部で主に衣料用染料の開発に携わっている。本会代表の水野さんも日本ペイントOBで、共に色素に関わるケミスト(化学屋)であることから、電話では古代史以外にも色素のことが話題になったりする。もっぱら私が教えを請うのであるが、最近、万葉集に染色化学(Dyeing Chemistry)の視点から、面白いテーマを発見したので水野さんに話した。持統天皇の有名な次の歌に関することだ。

 春過ぎて夏来るらし白たえの衣ほしたり天の香具山(二八)

 万葉集の「天の香具山」は別府の鶴見岳という古田先生の新説に刺激され、改めてこの歌に注目したのであるが、これは単に夏になったから香具山で洗濯物を干している、という歌ではなく、白たえの衣をより白くするための紫外線漂白、すなわち「晒(さら)し」作業の光景ではないか、という疑問を抱いたのである。
 染料開発において重要な課題に、耐光堅牢度という性能がある。すなわち、染料や繊維は紫外線により分解し、染料は退色するし、繊維は脆化や黄変してしまう。従って、いかにして紫外線に強い染料を開発するかで、いつも悩まされている。紫外線の波長領域は二〇〇〜三八〇ナノメーターであり、三八〇を越えると可視光線となり、肉眼で見える色となる。紫外線が皮膚に大量に照射されれば、日焼けや皮膚ガンの原因となり、衣服に当たれば色物だと変色や退色し、白い服だと黄ばみが発生する。そして、太陽光中の紫外線量は夏は冬の数倍に増える。
 従って、一般的に考えれば、夏に白たえの衣を干したら、繊維の脆化と黄ばみを発生し、好ましくない。ところが、紫外線の中の三二〇〜三八〇ナノメーター領域だけは、逆に漂白効果があることが実験により証明されているのだ。この作用を利用したのが、いわゆる「晒し」という技法である。

 この「晒し」技術は古代から知られており、万葉集にも次のような歌がある。

 多麻川に晒す手作りさらさらに 何そこの児にここだ愛(かな)しき (三三七三)

 従って、持統天皇の御製とされる冒頭の歌も、洗濯物を干しているのではなく、晒し作業を詠んだものと思われるのである。しかも、その時期が絶妙のタイミングなのだ。冬や春では気温も低く、太陽光も充分ではない。かと言って、夏では紫外線が多すぎて危険。「春過ぎて夏来るらし」という時期、すなわち夏が来たとは分からないが、白たえの衣の晒しが始まったことにより、夏が来たらしいと推測できる時期こそ、晒しに適した季節ではあるまいか。この絶妙のタイミングと臨場感を見事に表現したのが、「春過ぎて」と「夏来るらし」の二つの語句の連なりである。

 そうすると、次に問題となるのが晒しの場所である。通説通り藤原京から香具山を見た時の歌とした場合、香具山の北斜面で晒していたこととなり、晒しの効果を考えると不自然のように思われる。春から夏にかかる季節の太陽光で晒すのであれば、やはり南斜面が適切ではあるまいか。このことと関連するかどうか知らないが、土屋文明はこの歌が明日香の清御原宮から香具山の南斜面を見て詠ったものと解していたことを、斎藤茂吉が『万葉秀歌』で紹介している。
 清御原宮から香具山の南斜面が見えるのかどうか知らないが、持統天皇の御製とあれば、やはり藤原京と解すべきと思われる。そうすると、なぜ北斜面で晒すのかという先の疑問が解決できない。やはり古田説の通り、この天の香具山は明日香の香具山ではなく、別府の鶴見岳とした方が染色化学の視点からしても良いようである。なお、本稿で示した論点について先行説があれば、御教示願いたい。

 これは会報の公開です。史料批判は、『新・古代学』第一集〜第四集(新泉社)、『古代に真実を求めて』(明石書店)第一・二集が適当です。 (全国の主要な公立図書館に御座います。)
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