報告 平成七年二月二一日 青森地方裁判所判決
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資料 和田家文書 1

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『東日流外三郡誌』(昭和五八年一二月二五日発行)北方新社版
8飛鳥山耶馬台城址考 第一巻 古代編 一二九頁 〜 一三二頁

飛鳥山耶馬台城址考

 東日流太古を探るべく実証を追求め、その歴跡を尋ねんと諸国を巡りて、徒らに空しき歳月と亦、旅費を散財せしも、得るは少かにして、それも審して真偽の審びらかなざるもの多き骨折ぞんなるは暫々なり。
 而るに、かく実証にあえては、悦びも感無量なり。
 それ百年はおろか二千年前の遺物にふれては尚の事なり。依て、茲に耶馬台城をこのままに、二千年の安眠を覚すまい。東日流に実在せる耶馬台の城址は、吾等の心に認め、桧の中に安らけく眠るは祖先への供養なりと、自ら覚るなり。
 東日流の民、いや奥州の民は諸族の血を受継ぎ、制する権力を討払い、平等なる人の理に永く暮しを護りし民なり。
 阿曽辺族、津保化族、耶馬台族、支那、朝鮮の民族に混血なして荒吐族となり、朝廷の重税を蒙むる政を度外視なし、民族相互の自立に依りて立てにし国王をして来るは、天晴れなり。
 京師人は、吾等奥州人を蝦夷亦は俘囚とぞ称し、未だ国賊のたぐいに覚つ旧来の習しを離れず忌み嫌ふなり。されば都人とて己が血肉の祖を忌む罪障となりぬ。
 日之本八州に人をして種別ぞなし、皆同祖なり。亦、是を未だに忌むは例え国主たりとも赦されざる輩なり。
 茲に吾等一族の心を一になし、ゆれる幕府の治世に、民苦しむるを赦しまず。
 耶馬台の光りとこしえに護らむ。
 同祖なる支那、朝鮮の民を暮しに結びて、広く公益を起さんや。
 耶馬台城址に立って、是の如き心地なりたるは、何故ぞ。天地は己れ一人のものならず、衆をして相睦むこそ神に誠の通ふものと、吾れ祖先の遺跡に誓って筆を止む。
  寛政六年六月     秋田孝季
             和田長三郎


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東北の真実ーー和田家文書概観(『新・古代学』第1集 特集1東日流外三郡誌の世界)

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