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『新・古代学』古田武彦とともに 第2集 1996年 新泉社
特集1 和田家文書の検証

「進化」という用語の成立について

西欧科学史と和田家文書(中)

上城誠

 前稿(『新・古代学』第一集収録)において、「和田家文書」中に記録された「進化論」は江戸寛政期に、西欧からもたらされたものとみて不自然でない事を論じた。その目指したところは、「進化論」の検証をとおして、「和田家文書」偽書論争を本来の「学問の場」、いいかえれば「知を愛する人達の場所」に戻すために、「和田家文書」研究の一端を提示するところにあった。そして、それは私自身の中に深く根づいていた。いわゆる「定説」あるいは「常識に類するもの」が、一つ一つ理論的に否定されていく過程でもあった。
 本稿では「進化」という用語の成立問題を中心に論じる事により、前稿における「学問の方法」上の不備の補足としたい。

   I

 『管子』第四十九篇に次の成句がある。
“聖人変而不化、従物而不移”
「聖人は表面的、外面的な変化はするが、内面的、質的な変化はしない。自然の事物、環境に適応をするが、それによって聖人自身の物の見方、考え方を改めはしない」

という文意であろう。ここで注目すべきは、「変」と「化」の字義の違いである。「変」とは外部からも見てとれる形態的変化に使用し、それに内的、質的変化が伴う場合に「化」が使用されるのであった。“変則化”と『中庸』にあるように、「変」と「化」は類語ながら微妙な字義の違いを有していた。

 『荘子』第十八篇至楽を取りあげてみよう。
“種有幾、水得則爲繼*、得水土之際、則爲[圭/黽]嬪*之衣、(中略)青寧生程、程生馬、馬生人、人又反入於機。萬物皆出於機、皆入於機”
「すべての種には、ある胚種が含まれる。この胚種は水中にあると、絹糸の横断面ほどの小さい微細な有機物となる。水と陸地とに接するところでは、それらは地表類の植物、または藻になる。(中略)豹は究極的には馬を生じ、馬が究極的に人を生じるのである。人は再び胚種に返る。すべてのものは胚種から生じて胚種に返るのである」

繼*は、糸偏を除く。
[圭/黽]は、圭の下に黽。JIS第4水準 ユニコード9F03
嬪*は、女偏を虫編にする。

 このように、「荘子」には原初的ながらも、前稿で取りあげたシャルル・ボネ、ビュフォンの学説に近似した進化論的記述すら見出されるのである。また『列子』第八篇説符には、自然の中での生存競争を「適者生存」の立場から評価した文章さえも存在するのであった。

『荘子』第十八編至楽

 私達は、江戸期日本において、西欧科学受容以前、知識人、あるいは学問を志す人々の共通素養として、儒家、道家、墨家といった中国思想があった事を知っている。中でも、「朱子」は「朱子学」なる名称で脚光を浴びていた。十二世紀半ばにあって「朱子」は自分以前の思想家たちの成果をふまえ、仏教及び若干のヨーロッパ科学思想を背景に、次のように記した。

  『朱子全書』巻四十九、二十六葉表
“又問生第一箇人時如何、曰、以気化、二五之精、合而成形、釋家謂之化生。如今物之化生者甚多、如蝨然。
 生物之初、陰陽之精、自凝結成両箇。蓋是気化而生、如蝨子、自然爆出来、既有此両箇。一牝一牡、後来却従種子漸漸生去、便是以形化、萬物皆然”
「ある人が、最初の人間はどのようにして生まれたのかと尋ねた。哲学者は次のように答えた。すなわちそれらは陰陽及び五行の最も微妙な部分の変化、つまりそれらが、結び合わさり形を生じた事により、気から形成された。これは仏教徒が自然発生 ーー化生ーー と呼んでいるものである。そして、今もなお、例えばシラミのように、こうした方法で発生する多くの生物がいる。
 生物の発生の初めには、突然に生まれるシラミの自然発生のように、陰陽の最も微妙な部分が凝固して、二個の構成分子を形成する。しかし、二つの個体、すなわち一牝一牡が存在するようになった後には、それらの後の世代は種子より生じ、そしてこれが最も普遍的な過程である」
 自然発生に対する考え方と「種」という文字で「受精卵」を表現するなど興味深い。
 このように、中国思想史を検してみると、各時代、各思想家達が、「生命の発生」と「変化」という問題に対し、たえず考察していた事が判るのである(ここに紹介できなかった数多くの事例が存在する)。
 そして、それは「化」という文字の字義と共にあった。すでに、このような思想的基盤を有した中国に、十六世紀末から西欧科学思想が続々と流入するのである(イエズス会士の寄与が多大である)。その中で、「生命の発生と変化の過程」を表現する用語として「進化」なる語の成立をみたと考える事は、「化」が「進む」という漢語的構造からみても、論理的帰結として当然であろう。

  II

 「和田家文書」の中心思想に「アラハバキ」信仰がある事はよく知られている。「アラハバキ」は原始自然信仰に、道教を中心とする中国思想、そして仏教の無常観等が取り入れられ、独特の「生命発生論」と「生物平等思想」を柱とした「アラハバキ教学」として確立したものであった。
 秋田孝季は、藤井伊予、藤井山城等から、この「アラハバキ」思想を学んでいた。

 万物一祖之事
凡そ世に生々せるものは、大宇宙の創造に陰陽の神ぞ造れる、天地の創造を以て万物一切の祖なれば、天地一切のもの皆一祖なり。(中略)
地界に生命を保てるもの誕生せしは水中にして、陸海の辺に蘇生せしは一物にして、是を命祖万祖体形種卵神と称す。
是れ即はち、藻、草、木、貝、魚、虫、獣、人、病の十祖に分立なして生命形骸進化なし、生々万物に分類せりと日ふ(北方新社『東日流外三郡誌』第六巻)。

 寛政元年(一七八九)の藤井山城の文章である。陰陽の作用による生命の発生という中国思想的「進化論」が記されている。同じ年の他の文章には「是れ天地の陰陽に基く法則なれば、雌雄を以て生死を輪廻するは・・・」あるいは「木火土金水なる素源混動に生ずる五行より、空風雨暖寒の五行を生じ」と「アラハバキ教学」における中国思想の影響がみられる。「アラハバキ教学」においては、「天地水の自然が生命を生んだ、生物の万祖は一つであり、太陽が一つであって、あらゆる場所に等しく陽光を与えているのだから、生物は平等である」と説くのである。
 秋田孝季、和田長三郎吉次が後に紅毛人から近代科学思想を学ぶ時、その学問対象が、「宇宙生成論」と「進化論」にあった事、その理由こそ、彼ら二人の「アラハバキ教学」にあったのだった。エラズマス・ダーウィン、ヴュフォン等の「進化論」「宇宙生成論」は「アラハバキ教学」を否定せず、より論理的基盤を彼らに与えた。「和田家文書」中に繰り返し、まきかえし「進化論」「宇宙生成論」が記されている意味がここにある。
「アラハバキ」信仰は秋田孝季によって「アラハバキ思想」として確立したのであった。

  III

 明治以降の日本における「進化論」受容史を詳細に研究されている磯野直秀氏によると「Evolutionには“変遷”、“進化”、“化醇”、“逓進”と多彩な訳が登場し、初めは“変遷”が他を圧したが、しだいに”進化”に置きかわる。“進化”は一八七八年(明治十一年)五月が初出で、井上哲次郎の造語らしい」(小学館、『モースと日本』三一二頁)と、学者らしい誠実さで、明治以降の「進化論」受容史の中でのみ考証し、慎重に論を進めている。
 磯野氏の研究から、私たちは次の論点に導かれる。それは「変遷」「逓進」といった訳語は「漢語」として、すでに日本人になじんだ語句である事だ。それゆえにこそ「化醇」のように「化遷」という「漢語」を手本にし「醇化」という語の語順を入れ換えたごとき訳語、およびEvolutionの原義から離れてしまう「逓進」が第一に使用されなくなった。訳語には、その字義に近い「漢語」が選ばれ、定着するのである。
 このように考察してみると、「進化」なる訳語も、新造語ではなく、進歩変化の意味で江戸期から用いられていた「進化」がEvolutionにあてられ、本稿 I でのべたように本来中国で成立した「生命発生、変化の過程」をあらわす用語であったために、異和感なく定着し、現在に至ったとみなされるのである。

「和田家文書」中に次のような語句がみられる。
“耐生進化す”
「生々に耐えて、化は進む」という意味。
“生化の過程に於いて”
「化が生ずる過程において」という意味。このように、「化」の本来の字義を見つめ、自然界と人間界を「化」の側面から追求したものが「アラハバキ思想」であった。
 私たちは、すべての科学思想はヨーロッパから、とか、すべては明治からと考えがちであるが、その前史たる中国(背景にイスラム、インドがある)からの科学思想、そして長き江戸期の存在を軽んじてはならない。
 「和田家文書」は私たちを「学問の大海」にいざなう、大いなる資料集である。心して取りくんでいきたい。
 次稿では、本論をより細部に立入って論じ「宇宙生成論」における中国思想と西欧科学思想を「和田家文書」中から分類してみたいと思う。

補1 「荘子」の「進化論」がヨーロッパ科学に与えた影響を現在調査研究中である。ライプニッツから、ニュートン、ビュフォンヘ、そしてエラズマス・ダーウインヘ、と考えられるが次稿以降の課題としたい。

補2 明治以降の「進化論」によく使用される「弱肉強食」も新造語ではなく「韓愈」の著作にその出典がある。論者は注意をされたい。


「進化論」をめぐって 西欧科学史と和田家文書(上) 上城誠(『新・古代学』第1集 特集2和田家文書「偽書説」の崩壊

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