『古代に真実を求めて』第七集(講演記録 二 出雲弁と東北弁古田武彦)

『古代に真実を求めて』 (明石書店)第十集
古田武彦講演 「万世一系」の史料批判 -- 九州年号の確定と古賀新理論の(出雲)の展望
二〇〇六年二月十八日 場所:大阪市中央区電気倶楽部

一「万世一系」の史料批判 二「国引き神話」と黒曜石 三九州年号 四筑紫の君薩夜馬と九州年号
五「藤原宮」はなかった 六大海長老と「浦島伝説」 七出雲の神話 八「サマン」と「サマ」 質問一~四


二 「国引き神話」と黒曜石

古田武彦

 次の問題にまいります。黒曜石の問題です。これも詳しく話せばいくらでも時間がかかるので論理の筋道のみ話させていただきます。この問題に気がついたいきさつについては、すこし話させていただく。
 これはわたしが二年半前、二〇〇三年一〇月にかけてロシアのウラジオストックに行きました。行きました目的の一つに黒曜石を確認したいということがありました。
 それにさかのぼる十五年前、一九八七年七月から八月にかけてロシアに行きましたが、黒曜石は見せてもらえなかった。しかし七ヶ月跡、ソビエトの学者が日本に来て、ウラジオストック近辺の一〇〇キロ圏内の七十数個の黒曜石の鏃(やじり)を持ってこられた。それを日本の立教大学鈴木正男教授が分析して鑑定された。その結果五〇パーセントが出雲の隠岐島の黒曜石、四〇パーセントがそのときは男鹿半島、後に訂正されて北海道の赤井川の黒曜石と判定された。あとの一〇パーセントはわからない。そのような判定結果が一九八八年五月一〇日出た。忘れもしませんが早稲田大学の大実験室でソビエトの学者が、鈴木正男教授の判定結果を発表した。わたしはいちばん後ろの席で聞いていて飛び上がらんばかりの感動をおぼえました。
(『古代に真実を求めて』第七集明石書店 講演記録 歴史のまがり角と出雲弁ー人類の古典批判ー参照)

 それは出雲の国引き神話を分析した結果です。四方から国を引っ張ったと書いてある。第一と第四は変わらない。第一は新羅。第四は能登半島・越の国。これはかわらない。第二、第三については従来の説とはことなる。島根県の日本海側にあると言っているがそうではない。二番目の「北門の佐伎の国」とは北朝鮮のウスタン岬。三番目の「北門の良波の国」とはロシアのウラジオストックのことある。そのようにわたしは理解しました。つまり日本海の西半分を世界にした説話である。そのようなわたしの説話の分析を裏付ける黒曜石の分析結果である。しかも縄文時代の神話であると考えました。金属器が出てこない。その時代の出雲というならば隠岐島が黒曜石の産地です。それならば(隠岐と同じ)黒曜石がウラジオストックにもあるはずだ。そう思ってソビエト(当時)に行きました。ところが、そのような鈴木正男氏の判定結果を聞きまして、わたしはたいへん喜んだ。
 ところが二年半前にロシアに調査に行ったときも、とうぜんですが黒曜石の問題を重視していました。それでウラジオストックの極東大学の考古学主任教授にお会いして、黒曜石(の鏃)を調査のため欲しいと申し入れました。快諾されて後日十数個の黒曜石そのものや鏃を、場所を判別した用紙を付けて助手のかたから渡されました。またハバロスクの大学からも、またカムチャッカ半島(ハバロスク州です。)やハバロスクの黒曜石を説明を受けて渡されました。
これらを喜んでもって帰った。その時にわたしの頭に印象に残ったことがある。それは極東大学の考古学主任教授に産地を確認しますと、ここだと言われました。ウラジオストックだと言われました。それで、もしかしたらと考えました。それで産地に行きたいと申し出ましたが指定された日が帰る日の前々日だった。通訳や関係者に相談すると止められた。それは前々日では手続きがかさなり帰れなくなることもあるとのことで産地に行くことは断念しました。
 それでどうもウラジオストックでも黒曜石が出るのではないか。そのように考えていた。というよりもウラジオストックの考古学の主任教授が、黒曜石の産地が現地であることを断言している。それいらい、この問題もわたしにとって重要なテーマの一つになってきた。
 そこから先は進行中の問題ですが、半年以内に望月さんという黒曜石の専門家がウラジオストックに行って産地を確認して下さる。このかたはトルコ周辺の黒曜石の研究に行っておられ海外の調査が得意のかたです。そのかたが現地に行って黒曜石の産地を確認していただく。そういう予定です。
 そういう調査をしてからこの話をしてもよいのですが、最近変なことを言う人が出てきました。古田が言っていることは間違っている。ウソらしいですよ。それをなんの根拠を示さずに言っていることを横田さんからお知らせいただいた。なにを言っているのか。黒曜石の場所を判定したのは、わたしではない。わたしは一九八八年早稲田大学の大実験室でソビエトの学者が、鈴木正男教授の判定結果を発表したことから考えているだけです。間違っているというならば、その判定が間違っていると言わなければならないのに、わたしの名前だけを出して「古田はダメだ」と言っています。コマーシャルでしょうね。そういうことを言っている人がいる。本にも書いておられるから名前を言ってもよいでしょう。森浩一さんです。

黒曜石をめぐる航海
・・・
網野 隠岐の黒曜石が沿海州までいっているといわれていましたが・・・。
森  あの判定はだめだったようです。自然科学の分野で機械を使いこなして、きちんとした結論を得るのは大変らしいのです。
・・・
『この国のすがたと歴史』(朝日選書 網野善彦 森浩一)
『この国のすがたを歴史に読む』(大巧社 網野善彦 森浩一)

 このように、ここに書いておられる。学者として似つかわしくない。そのような感じをもちました。このことには、これ以上立ち入るつもりはありません。
 ですが、わたしは先ほどの鈴木判定から次の段階に進んでいました。ウラジオストックの極東大学の理解では、渡された黒曜石は現地産である。そのような理解に立って取り組んでいたところです。ですから先の発言は、古田のイメージダウンをはかることだけが目的の発言のようにわたしは感じられた。人のことはどうでもよいですが。
 それで一九八八年にウラジオストックからもたらされた黒曜石も、ウラジオストック産ではないか。そのように考えていました。その点についても鈴木正男氏に確認をとりました。鈴木氏も、(判定した)あの黒曜石は現地産、ウラジオストック産だと考えておられることを最後に引き出したというか確認しました。はっきりと鈴木正男氏が言われないと、わたしの研究も進展しないと言いましたら、そのように言われました。今は現地産と考えてよい段階に来ていますと言われました。これは望月さんが現地で、さらに確認を行われることになっています。状況としてはそのような段階です。
 そうなると、おもしろい問題が続出する。わたしは、しばらく黒曜石を枕元においてながめていたが、(笑い)おもしろい。なぜおもしろいか。ウラジオストックが黒曜石の産地とします。数が一つや二つではない、かなりの数の産地がある。もう一つ聞かされたのが、北朝鮮の白頭山に黒曜石が出る。これもはっきり聞かされた。これも欲しいと思いましたが、その時の雰囲気として、あれこれいうのを我慢して言わなかった。これも鈴木正男氏に聞いても、まちがいなく黒曜石が出ますと言われた。

国引き神話(『出雲風土記』)
一番目は志羅紀(しらぎ)の三埼
二番目は北門(きたど)の佐伎(さき)の国
三番目は北門(きたど)の良波(よなみ)の国
四番目は高志(こし)の都都(つつ)の三埼

・・・
持ち引ける綱は、夜見(よみ)の嶋なり。堅め立て市加志(かし)は、伯耆の國なる火神岳、是なり。「今は國は引き訖へつ」と詔(の)りたまひて、意宇(おう)の[示土](もり)に、御杖衝き立てて、「おゑ」と詔(の)りたまふ。故(かれ)、意宇(おう)といふ。

 出雲の国引き神話では、四方から国を引っ張ったと考えられているが、これは正確ではない。つまり一番目と四番目には「国」という言葉がない。二番目・三番目にだけ「国」という言葉がある。正確には二カ所からの国引き。ほかの二カ所は、国引きにはあたらない。ふつうはそんなことは言わない。四ヶ所から引っぱったと言われる。概略としてはこれでもよいが、厳密に見ると二カ所からの国引きとなっている。そうしますと二番目の「北門の佐伎の国」であるウスタン岬のバックにあるのが白頭山という産地。かなり立派な黒曜石が出るようだ。三番目のウラジオストックからもかなり黒曜石が出る。もちろん出雲の隠岐島も、すぐれた黒曜石の産地なのです。西郷町の各地で出てきて、すべてデザインが違っている。美しいデザインの形で出てくる。そうしますと出雲の隠岐島も国です。二カ所の北門(きたど)と言われるところも国です。いずれも優れた黒曜石の産地の三角地帯となる。そのなかの「国造り」となります。
 縄文時代というのは、金属器が出てこないということと、直接の証拠としては国引き神話のなかに「伯耆の國なる火神岳」があり、その「火神岳」に縄をくくり付けて終っている。後は「オウ」の地名説話の駄洒落(だじゃれ)の連なりとなる。
 「伯耆の國なる火神岳ひのかみだけ」は大山(だいせん)で、とうぜん火山です。火山だった大山(だいせん)は、概念としての縄文時代初期・三分の一以上は、盛んに火が吹き上げていたようだ。これが一番期間が長い。次は縄文時代の真ん中は、ちょろちょろ火。そして縄文時代の末期、これは縄文晩期を含み考古学の編年とはすこしずれますが、そのちょろちょろ火も完全に消えてしまった。それで火が消えれば火口は、すぐ湖になる。(『大山』〈中国新聞社〉より)
 それで大山(だいせん)神社で行なう最大の神事は、七月十四・十五日の「もひとり」神事です。それは、火口湖へ行って水を汲んできて、それを神前に供える。それだけのことで宮司さんが連なって行って水を持って帰ってくる。それだけのことですが、この神社の最大の行事です。わたしがふしぎに思ったのは、水を持ってくるのになぜ「もひとり」と呼ぶのか。火を持ってくるなら分かりますが。それで「水みず」のことを「ひ」と呼ぶのかと、いろいろ聞きましたが、あたりまえですがそんなことはなかった。火は「ひ」です。「も」というのは、海の藻のような群れている状態。ですから「もひ」というのは、ちょろちょろ火。それを持ってきて神前に祀る。「もひとり」神事とは、大山(だいせん)が大爆発しないように祈る神事です。それが、ちょろちょろ火も消えて火口湖になってしまった。しかたがないので火口湖の水をお供えして、お祀する神事に変わった。しかし言葉だけは、縄文時代からえんえんと「もひとり」神事と言っている。凄いですね。縄文時代の言葉が、現在に存在する。そういうことは口で言えるけれども証拠が存在しない。しかし、大山(だいせん)神社には証拠がある。縄文時代中ごろの日本語です。ですからその当時も、「も」は「group・群れ」のことを言っていた。「ひ」は、「fire・火」。「とり」は、「take & put ・取る」という動詞もあった。その三点セットが確認できて、わたしとしては大発見でした。
 とにかく「火神岳」は大山(だいせん)のことです。現在では大山は爆発していない。だから現在の人が書いて「火神岳」となるはずがない。「火神岳」と言っているのは、縄文の中ごろの言葉です。その以前の爆発のときでもよい。縄文末期以前の言葉である。だからこの神話も縄文末期以前の神話である。縄文の初期や中期に作られた神話である。このような証明ができる。このように神話のなりたちは、証明が行ないにくいが火山のおかげで証明が存在する。縄文時代はとうぜん黒曜石の時代である。黒曜石の三点セットの国引き神話である。

 ですから望月さんがウラジオストックに行って現地を確認して下さるならば、あたらしい論証に論理を進めることができる。そこから先は、またいろいろな問題を提起します。まず「国を引っぱる」という話。これは突拍子もない話です。こんな話をよく考えたものです。それで考えましたのは、「国ヒキ」も駄洒落(だじゃれ)ではないか。『出雲風土記』は、だいたい地名にあわせた駄洒落ばかりです。
 それで考えたことは、国引き神話の「ヒキ」とは、「日柵ヒキ 太陽が出る、そして照らされた要害の地」を意味する言葉ではないか。太陽の意味の「ヒ」、要害の意味の「キ」です。そう考えますと大山(だいせん)は、松江や出雲から見て、おおよそ東にあります。太陽は大山から出ます。千七百メートルの高さの山は付近にはありません。そればかりでなく太陽(日)にくわえて火山の火の拠り所という意味もあるかもしれません。もちろん上古音の乙類・甲類の問題があるので、ただちにイコールで結ぶわけにはいきません。別概念です。ですが本来太陽の日(ヒ)という概念と、別の爆発した火山の火(ヒ)という概念、両方に当てはめたのではないか。ほんらいは太陽という依り代と火山という依り代であった「ヒ」を、駄洒落で国を引くという「引き」にかけ合せて国引き神話が造られた。
 そして、この国引き神話が造られたのは縄文時代です。縄文時代中期か初期です。大山(だいせん)を「火神岳」と言って誉め称えるような言い方をしているのは爆発して火を吹いていた縄文の初期という遅い段階での話です。変な言い方と思われるが、われわれは縄文初期というと古いと考えがちです。しかし旧石器というそれより古い段階が何万年もある。その時代から見るとたいへんおそい時代。そのおそい時代に「ヒキ」を動詞の「引き」に代えて、国を引っぱってきたという駄洒落(だじゃれ)話を造ったのではないか。漁師さんが、船を引っぱり杭にくくりつけて一日の労働がおわる。そういう経験が背景にある。漁師さんがこの背景をを元にして、この話を造ったのは縄文の初期から中期である。この考えはまったく証拠がありませんから、仮説のなかの仮説として受け取ってもらってもかまいません。いま頭の中にあるイメージです。
 さらに同じく仮説のなかの仮説では、おもしろい問題として「三つの太陽」がある。『古代史の未来』(明石書店)に書かれていますが、「三つの太陽」という説話が黒竜江周辺で成立している。ところが日本では、関東で三つの太陽を射るという射日(しゃじつ)神話が、各地に残されている。一番素朴なのは、小学校一年生の子供が矢を持って歩いて行き、おおきな烏(からす)が描いてある三つの太陽の大きな図を突き刺す。それで一年の神事はおわる。正月の神事は終わり。そういうそぼくな神事まである。
 それで、おなじ射日神事が出雲の隠岐島にある。それで知っていた隠岐島のかたに電話で問い合わせると、立板に水のようにありますと話され資料を送ることを約束された。そのなかに天に向かって弓矢を三回放つ。そういう行事があることを話された。神社によって、いろいろなスタイルに変わっているようだ。三つの太陽を落とす。そういうイメージかも知れません。そのような「三つの太陽」説話の問題と、それと三つの国の「国引き」神話。北門の二つの国と出雲。その日本海の西半分をまたげた壮大な話の淵源に、この「三つの太陽」説話があるのではないか。
 これから楽しみな仮説のなかの仮説です。これも現地に行って確認した上での結果です。そういう話の広がりを感じさせる問題です。
 ですが現在はいまのところは、三つの黒曜石の産地をむすぶ国引き神話である。そういう段階です。そこまでは、ほぼ確実なことです。ウラジオストックから黒曜石がほぼ確実に出土する。また白頭山からも出土する。それが確認されれば確実なことではないか。そう考えてわくわくしているところです。


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