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市民の古代・古田武彦とともに 第二集 1984年 6月12日 古田武彦を囲む会事務局 編集委員会

古田武彦を囲む会・活動経過・記録

大阪の活動経過と記録

古田武彦を囲む会のあゆみ

 事務局長 藤田友治

 古田武彦氏の提起される鋭い問題提起と学説を真摯に受けとめた読者(市民)が、あらゆる職業の違い、性別・年代の差を越えて広がり、自立して歩んだ経過を報告します。
 「古田武彦を囲む会」の発足時の経過、講演会(第一回ーー 一九七七年から第四回ーー 一九七九年)までは、『古田武彦とともに』(創刊第一集)に詳しいので割愛します。又、朝日新聞「ゆうかんレーダー」(七月十三日)に「新たな歴史像を市民で」と題して、古田武彦氏の魅力とともに会のあゆみが紹介され、共感された読者が会員となられ大きな輪で広がりました。

読者が祝う画期的な「出版記念会」!
ーー続々と寄せられる期待の声ーー
 一九七九年、七月十四日(土)、大阪の『なにわ会館』で、「古田武彦氏出版記念会」が催されました。この企画は、『ここに古代王朝ありき ーー邪馬壹国の考古学』(朝日新聞社刊、六月十日第一刷発行)の出版で、古田氏の著訳書は記念すべき十冊目を迎えること、しかるに今だに一回の出版記念会もなかったことから、出版社の側からではなくくて、読者(市民)側から自主的にやろうと決められたものです。企画から運営の全てに、積極的に市民自らがやりとげたのがユニークだと思われます。読者が本を読むだけにとどまらず、著者を招いて講演を聞くことを経て、読者自らの手で出版記念会を盛大に開けたのは、恐らく前例のないことでしょう。これは古田氏の著書の斬新かつ精緻な論理と魅力ある人柄による読者の共感が生みださせたものではないでしょうか。
 さて、来賓には元朝日新聞社大阪本社出版局(現在大阪府立中之島図書館、府史編集班)米田保氏にご臨席いただいた。古田氏にとって、又私達読者にとって米田氏は『「邪馬台国」はなかった』以降の古代史の各著作の「真の生みの親(古田氏の言葉)」であった方である。
 出版記念会の七月十四日は、市民を中心にたいへん熱っぽかったのは実はフランス革命記念日でもあり、又一九七一年古田氏が『「邪馬台国」はなかった』の最終原稿を完了され、米田氏が受領された日でもあったからでしょう。
 司会者(佐野氏・石津さん)の進行のもとで、会長(中谷氏)あいさつや、各界(季刊『邪馬台国』責任編集長野呂氏・九州の囲む会壱岐氏・東京の会高田さんその他)の激励の祝電やお手紙の披露がおこなわれました。又市民を先頭(釜洞氏・三木さん・児王氏・今井氏・岸野氏・義本氏・宋氏・広岡氏ら)に、教師(北山氏・加藤氏・丸山氏・藤田氏ら)を含め数多くのテーブルスピーチが古田武彦氏に期待を寄せて盛りあがりました。
 激励に応える形であいさつに立った古田氏は、感謝の気持をのべられた後、早速レジュメを基に新しい研究成果を発表、あまりにも真面目な古田氏の姿勢に出席者一同大いに感銘を受けました。

 「古代史に新説を次々と打ち出している古田武彦さんの出版記念会が十四日夕、大阪上六のなにわ会館で開かれ歴史・考古に関心深い約五十人が集まった。近著『ここに古代王朝ありき』で著書が十冊になったのを記念して「囲む会」が企画したものだが、あいさつに立った古田さん、稲荷山鉄剣銘に関連して『辛亥の年(四七一)には、倭王武は即位していなかった』と、またまた新説を披露して学界の通説に挑戦、意気盛んなところを見せた。」(毎日新聞七月十五日朝刊)

 欠席された方からも、数多くの丁寧な連絡が寄せられました。東京の大塚泰二郎氏は、「遠方ですので、たいへん残念ですが出版記念会は欠席させていただきます。会の御盛会をいのります。『ここに古代王朝ありき』本日、ようやく読み終りました。いつもながら明快な論理に感服。とくに倭国の物の分布、分析はたいへんおもしろく、又、勉強させていただきました。古田先生は戦争時、広島におられたとのこと、私も当時広島県にいて戦争の悲惨さを体験いたしました。考えてみると、歴史とは戦争と破壊と人間の悩みの歴史ですね。平和と繁栄と信頼の歴史をつくるためにも、皇国史観を排して、科学的な歴史観をひろげたいものです。先生はじめ皆さまの御健闘を切に願っています」と温い配慮を示された。このように出席への熱意を持たれながら仕事や遠方等やむ得ず欠席された方々のために、会場の雰囲気をもう一言触れておこう。それには、私の拙い文章よりも、参加者の反響の一つをそのまま紹介しておいた方がよいでしょう。

 「昨七月十四日古田武彦氏出版記念会出席に際しましては一方ならぬお世話に預り厚くお礼申し上げます。古田先生の終始変らぬ温顔とご謙虚な姿勢、会員の皆様との暖かい交流、会場に溢れる和やかな雰囲気の中にも真理への探究と歴史教育へのひたむきな情熱がひしくと感ぜられ、小生幾度か目頭の熱くなるのを禁じ得ませんでした。この会の美しい思い出は生涯忘れ得ぬものとなりましょう。この機会を与えられました事務局の皆様に厚くお礼申し上げます。」(七月十五日夜・阪野俊一)

朝日新聞 1979年(昭和五十四年) 七月十三日 金曜日 三版

新たな歴史像を市民の手で

<略>

高校で公開講演授業!

 第4回講演会(囲む会主催)で、多くの高校教育現場の先生方が参加され、その中で、熱心な先生方が古田武彦氏を講演会終了後も囲まれ、是非直接教育現場にと金岡高校の加藤正彦先生による企画がなされました。将来を荷う高校生に、ユニークな企画と古田氏の講義が、新鮮な感動をよび広げました。


 「東アジアの古代文化を考える大阪の会」とは、元来私達の会員が入会されている方が多いですが、7月21日、会長江上氏講演の際、事務局の厚意で『古田武彦とともに』の紹介、販売をさせていただきました。会員10名の参加(同時会員含む)、18人の新しい仲間に読んでいただけました。
 「耳原遺跡(茨木)現地説明会」では、茨木・高槻方面の会員8名が参加し、現地で交流し、支部を結成しょうという話が盛りあがりました。現地で新規加入者5名増えました。
 「高安城を探る会」も熱心に地道な研究、活動を続けておられ、私達の会の紹介と機関誌の交流をしました。『五条考古古代文化』『保存修景計画研究会・歴史の町なみ』をいただきました。『歴史と人物 ーー79年10月号』に「歴史を市民の手で」と囲む会の紹介記事が掲載されました。又、『マスコミ評論 ーー79年12月号』に「狭量な学界が手を焼く男の出現 ーーだから我々は古田武彦史学に魅かれる」と題されて6頁にわたって掲載されました。これは、『サンデー毎日 ーー79年10・7 劇的人間、倭製シュリーマン?古田武彦』(8頁)の記事を読まれたマスコミ評論杜の編集部の依頼によって、囲む会活動の経過と意義に焦点をあてたものです。
 学界、一部ジャーナリズムの「定説」を根本的に批判する立場の古田説を、自由で真実の歴史を求める市民が一層広げるため、学者・文化人・ジャーナリズム・教育研究会・大学図書館等へ73冊、『古田武彦とともに』を贈呈いたしました。その際礼状ならびに丁寧な返事をいただきありがとうございました。又、維持会員はじめ会員各位のカンパ(切手)を有効に使用させていただくことができました。

自立して歩み始める囲む会

 古田武彦氏の講演会等の諸活動と読者からの手紙や電話で、いくら情熱的でタフな古田氏といえども、現状は「過密スケジュール」ともいえ何とか心静かに机に向かわれ一層の研究と著作に貴重な時問を向けられるように配慮すること、従って古田氏が来られる機会を少なくし、そのことによって会員自身が一層自立を深め、学び合いをしようと話し合いが維持会員の間ですすみました。その結果、第三土曜日の夕方(六時〜八時・大阪なにわ会館共済サロンにて)『歴史を語るタベ』をもち、お互いの意見、研究成果を交流しようということになりました。(現在、会場の関係で維持会員で続行していますが、希望者歓迎、連絡下さい。)
 更に、一層会員間の交流を深めるため、支部結成へと進んでいます。九月三十日(日)に、(東奈良遺跡現地資料説明会)を囲む会北大阪支部主催で、講師・東奈良遺跡調査官、宮脇氏によって現地指導を願い、夕方茨木市民会館にて、第一回北大阪支部結成交流会を行ないました。
 古田氏が、『ここに古代王朝ありき』(朝日新聞社刊)で、日本古代史上の謎の一つ、銅鐸の源流について、従来の説と違う「中国の木鐸・金鐸→朝鮮半島・日本列島の銅鐸」という仮説発表をされたことにもとづき、銅鐸の一大生産地である東奈良遺跡を訪ねたわけです。
 当日今井久順氏は、「記・紀よりみた茨木について」、藤田は「反天皇家の最古集団=銅鐸文化圏について」の報告の後、自由にシンポシオンを行う。地元、北大阪関係者以外にも、大阪の会会長はじめ多数の方の参加によって討論を深めた。今後もこのような企画を試みるため、北大阪支部代表世話人、佐野博氏・世話人(幹事)・釜洞剛氏・織田重治氏・藤田(事務局)があたることに決まりました。南大阪支部・阪神支部・京都支部と各地域で企画世話人を募集中ですので、自主的に企画され大いに交流を深めようではありませんか。誰れかがやってくれるのではなくて、必要を感じられた方が自ら主張し、行動する力強い自立した囲む会活動が求められています。元来、「出版界・ジャーナリズム」からの一方通行に対して、自立して歩み始めた囲む会の歩みそのものが、そのことの何よりの証左ではないでしようか。


 これは参加者と遺族の同意を得た会報の公開です。史料批判は、『市民の古代』各号と引用文献を確認してお願いいたします。
新古代学の扉 インターネット事務局 E-mailsinkodai@furutasigaku.jp

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