古賀事務局長の洛中洛外日記
第114話 2007/01/13

古層の「天神」−埴安命−

 昨日、初めて仕事で大和高田市へ行きました。駅の近くに「天神社」があり、ちょっと驚きました。というのも、天神社は筑前に濃密に分布する神社で、祭神は多くの場合「埴安命(はにやすのみこと)」で、何故、筑前に多いのか以前から気になっていたからでした。奈良県にもいくつか天神社があるようですが、祭神は埴安命ではないようです。したがって、筑前の天神社とはちょっと経緯や性格が異なるようです。
  筑前の天神社は地禄天神(じろくてんじん)という名称や田神社と書く例もあり、元々は田んぼなどの土の神様のようです。埴安命も土の神様です。それが、後に天神社という表記に代わり、菅原道真を祭る天満宮に変化した例もありました(杷木町松末本村の松末天満宮)。
  また、石見神楽の「五神」では埴安大王が中央の土の神様として活躍しています。次の
通りです。(http://www.geocities.jp/kagura_photo/kagura-enmoku-photo.htmlによる)

  春青大王 木で東方甲乙と七十二日の所領
 夏赤大王 火で西方丙丁と七十二日の所領
  秋白大王 金で南方庚辛と七十二日の所領
 冬黒大王 水で北方壬癸と七十二日の所領
 埴安大王 土で中央戌己と七十二日の所領

  ここで思い起こされるのが、第57話で紹介した『佐賀の「中央」碑』との関係です。この「中央神」が何者かが判らなかったのですが、石見神楽の伝承からすれば、埴安命のことかもしれません。そうすると、天孫降臨で滅ぼされた側の神様が埴安命ということになり、埴安命を祭神とする「天神社」が筑前に濃密に分布している理由が説明できます。
このテーマ、引き続き検討したいと思います。


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