古賀事務局長の洛中洛外日記
第88話 2006/07/07

筑後国府の不思議

 第87話で紹介した、久留米市の筑後国府跡から出土した大型建造物の柱穴について、この一週間検討を続けてきました。特に筑後国府に関する文献や発掘調査報告書を丹念に読み直したのですが、筑後国府には実に不思議な問題があることがわかりました。
 まず第一に、筑後国府跡は第一期から第四期まであり、通説でも第一期の国府(合川町古宮地区)は七世紀末の成立とされ、最古級の国府であること。なぜ、近畿ではなく九州の筑後国府が最古なのか、通説では説明困難です。
 第二に、律令体制が全国的に崩壊していた12世紀後半まで国府(第四期、御井町)が存続していたこと。このように500年も続いた国府は筑後国府だけです。
 第三に、第二期国府(合川町阿弥陀地区)は太宰府政庁と同じような配置を有していたこと。
 第四に、第三期国府(朝妻町三丁野地区)は全国最大規模の国府であったこと。
 第五に、第三期国府の東側に隣接して「曲水の宴」遺構が存在していたこと。
 第六に、国府跡の発掘調査報告を読むと、弥生時代の住居跡なども出土しているのに、古墳時代や飛鳥時代の遺跡がほとんど見当たらず、いきなり八世紀以後の遺跡となっていること。この地帯が古墳時代や飛鳥時代は無人の地だったとは考えられません。須恵器を中心とする土器編年がおかしいのではないでしょうか。

 以上、ちょっと考えただけでも不思議だらけなのです。おそらく、これらは九州王朝説に基づかなければ解決しないものと思われますが、それでも判らないことが多く、研究課題は山積しています。
 8月5日には愛媛県の松山市で講演しますが(古田史学の会・四国主催)、この問題をテーマにしたいと思います。それまでに、どれだけ解決している、今からワクワクするような研究テーマです。


古田史学の会・四国勉強会(8月度)済み

期日 2006年 8月 5日土曜日
     13:30-16:00
場所 松山市立北条ふるさと館
(愛媛県松山市北条別府995)
Tel: 089-993-3266
演題
と講師

テーマ:九州王朝の王都と副都
ーー筑後遷宮と前期難波宮ーー
     
講師:古賀達也(古田史学の会事務局長)

講演会終了後、古田史学の会・四国の定期総会を開催(15:30-16:00)
また総会終了後、古賀氏を囲んで懇談会を行います。
懇談会には会員外の一般の方も参加できます。

参加費 会員は500円、
会友(非会員)教材1000円

 


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制作 古田史学の会