古賀事務局長の洛中洛外日記
第76話 2006/05/05

『伊予史談』341号

 古田学派内でも自著をものにする人が増えてきました。これは大変悦ばしいことですが、その反面、内容は玉石混淆で、学問の方法が古田先生とは似て非なるもの、あるいは似ても似つかぬものも散見されます。そんな中にあって、『聖徳太子の虚像』という好著をものにされたのが、四国松山の合田洋一さん(本会全国世話人)です。その合田さんが愛媛県の郷土誌『伊予史談』341号(平成18年4月号、伊予史談会発行)に、「歴史学の本道と伊予の温湯碑−白方勝氏の批判論文に寄せて−」という論文を発表されました。
 同論文は、『伊予史談』339号に掲載された白方勝氏(元・愛媛大学教授)の論文「伊予の湯の岡の碑文と聖徳太子」に対する反論ですが、「九州王朝説は仮説の段階にある」「仮説を定説のように扱っている」と批判された白方氏に対し、「『定説』とされる大和王朝も学問上は一つの仮説ではないでしょうか」と、合田さんが初心者にもわかりやすく具体的に反論されたものです。
たとえば、『隋書』や『旧唐書』に記された倭国が九州としか考えられないこと、その倭国は志賀島の金印をもらった委奴国の後継王朝であること、『旧唐書』には倭国(九州王朝)と日本国(大和朝廷)とが別国として表記されていることなどが、初めて読む人にも判るように紹介されています。もちろん九州年号やその金石文の存在なども述べられており、単なる反論に終わらず、「古田史学入門書」の役割も果たしており、秀逸です。
 このように、一元史観と古田史学との論争は、定説側が隠していた、あるいはあえて触れてこなかった史料事実・考古学的事実が白昼のもとにさらけ出され、それを見たイデオロギーにとらわれない読者が古田説支持者へと変わっていくという構図になっているのです。現にこの合田論文を読んだ人の本会への入会が始まっています。
わたしは、このような時にいつも童話「裸の王様」を思い出します。古田史学(真実の古代史)を知った人々が王様(大和朝廷一元史観)に対して、「王様は裸(学問的論証を経ていない、史料事実を無視している)だ」と叫ぶ姿とオーバーラップしてしまうのです。
 今日は子供の日。「王様は裸だ」と叫ぶ、子供の日です。


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