古賀達也の洛中洛外日記
第732話 2014/06/20

現代と古代の幹線道路

 今朝は山形新幹線で東京に向かっています。午後、東京で仕事をした後に京都に帰ります。早朝の山形駅新幹線ホームで、山形出張の度に気になっていたある疑問を若い車掌さんにお聞きしました。
 それは、山形新幹線は在来線に乗り入れていますが、線路の幅はどちらに合わせたのですか、という質問でした。若い車掌さんの返答は「新幹線が在来線に乗り入れたのではなく、在来線が新幹線に乗り入れたのです」とのこと。従って、レールの幅は新幹線用の広い幅で、在来線車両の台車を改良して、新幹線用レールの幅にしたとのことでした。
 しかし、わたしはこの回答に納得できませんでした。それならなぜ山形新幹線の車幅は在来線並に狭い(4列シート)のかという疑問を解決できないからです。やはり、狭い在来線に新幹線を乗り入れるために、線路の幅と在来線列車の車輪幅は新幹線仕様に広げ、新幹線車両の幅は在来線乗り入れに支障をきたさないよう、通常の新幹線(5列シート)よりも狭くしたのではないでしょうか。そうしないと、在来線の線路だけではなく、トンネルや駅のホームの幅も全て新幹線仕様に拡張しなければなりません。それでは大工事となるので、在来線の駅やトンネルをそのまま利用するために、線路の幅と在来線車両の車軸幅のみを広げることにしたと思われます。その結果、山形新幹線の車両は他の新幹線よりも狭くなったのでしょう。おそらく地元の人や鉄道マニアにはご承知のことと思いますが。
 若い車掌さんとの会話は面白い問題に発展しました。その車掌さんいわく、「お客様から同様の質問をよくされるのですが、わたしたちからすれば線路の幅など何故気にされるのか不思議です」とのこと。そこでわたしは次のように説明しました。
 わたしの年代は子供の頃に東海道新幹線が開業した世代なので、「夢の超特急ひかり号」はとても鮮烈な思い出なのです。その頃、小学校で新幹線の線路の幅は高速走行のために欧米並の広い幅にしたと習いました。ですから、在来線と同じ線路を新幹線が走るということに違和感が強く、線路の幅はどうなっているのだろうか。それとも線路にレールが3本あり、どちらの車両も走れるような工夫がされているのだろうか。あるいは山形新幹線車両だけは車輪が4列あり、どちらの線路でも脱線せずに走れる構造か、車軸幅が自動制御で広がったり狭めたりできるのだろうかと、ずっと気になっていたのです。
 と説明したところ、若い車掌さんは「なるほどよくわかりました。ありがとうございます。」と深く納得されたようでした。本当に世代間の差は、意識や知識、認識の差を生むものだと、今更ながら感じた一幕でした(単なるわたしの不勉強だけなのかも知れませんが)。ちなみに、応答していただいた若い車掌さんは終始丁寧な物腰で、とても好感が持てました。
 新幹線は現代日本の幹線道路ですが、古代においても九州王朝による幹線道路(官道)があったことが知られています。たとえば、九州王朝の首都太宰府から佐賀県吉野ヶ里を結ぶ幹線道路(軍事用か)の痕跡が遺存していますし、関東や関西にも同様の幹線道路があり、それらは九州王朝が建造したとする仮説が肥沼孝治さん(古田史学の会・会員、所沢市)から発表されています。『古田史学会報』108号に、肥沼さんの論稿「古代日本のハイウェーは九州王朝が建設した軍用道路か?」が掲載されていますのでご参照ください。
 こうした研究テーマは関西の古田学派ではなされていませんので、「古田史学の会」役員会でも肥沼さんを「古田史学の会」記念講演会の講師として招聘してはどうかと何度か検討されているのですが、日程の都合などでまだ実現できていません。面白そうなテーマですので、関西の会員にもお聞かせいただきたいと願っています。

 車窓から東京スカイツリーが見えてきました。もうすぐ列車は東京駅に到着します。雨はふっていないようですので、助かります。


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