2009年 6月15日

古田史学会報

92号

1,「大長」末の騒乱
  と九州王朝の消滅
   正木裕

2,熟田津の石湯の実態
  と其の真実(其の一)
   今井久

3,『続日本紀』
「始めて藤原宮の地を定む。」
  の意味
   正木裕

4,淡路島考(その一)
   野田利郎

5,孔子の二倍年暦に
 ついての小異見
   棟上寅七

6,「梁書」における
倭王武の進号問題について
   菅野 拓
    なし

7,法隆寺移築考
   古賀達也
(付 事務局だより)

 

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淡路島考(その2)国生み神話の「淡路州」は九州にあった 野田利郎(会報94号)へ


淡路島考(その一)

国生み神話の「淡路洲」は瀬戸内海の淡路島ではない

姫路市 野田利郎

はじめに

 神代に国生み神話がある。その大八洲国の一つである淡路国を『書紀』は「淡路洲」と記し、『古事記』では「淡道之穂之狭別島」と記述する。(以下、この二つの名は同一の国と考え、その国を『書紀』と同じ「淡路洲」とする。)この「淡路洲」は瀬戸内海にある兵庫県淡路島(以下「兵庫・淡路島」とする。)と考えられてきた。しかし、『記紀』には「淡路洲」が「兵庫・淡路島」であるとは書いていない。本稿(その一)は、「淡路洲」は「兵庫・淡路島」とは異なる国であり、しかも「淡路洲」は「蛭児」「淡洲」と同様に滅ぼされた国であったことを『記紀』の内容から解釈する。淡路島考(その二)では「淡路洲」は九州の遠賀川流域にあった国との論証を行うことにしている。
 本稿では、『書紀』神代上第四段本文を『本文』とし、同段の各異伝は『一書第一』から『一書第十』と記述し、その考察では『古事記』と『書紀』の記述内容は区別して検討を行い、途中では安易に一方の記事を準用しないことにする。

 

淡道之穂之狭別島は島国名か

 『古事記』の国生み神話は、大八島国を「島」と書いてある。『古事記』の島は『一書第七』の洲と同じ国から構成されている。このことから『古事記』が『一書第七』と同じ伝承資料を基にしていたと推定され、「州」がもとの形であり、それを『古事記』は「島」と換えたと考えられる。従って、「淡路洲」は「淡路島」となるはずである。しかし、『古事記』は「淡路島」ではなく「淡道之穂之狭別島」と書いている。それなのに、これまでは「淡路洲」を「兵庫・淡路島」としてきたのである。
 大系本(岩波、小学館)の注でも、理由を書かずに「淡道之穂之狭別島」を「淡路島」としている。しかし、「淡路洲」についての『記紀』の島洲名の差異は大きい。これを比較する。
 (古事記)    (日本書紀)
 淡道之穂之狭別島 淡路洲

 伊豫之二名島   伊豫二名州
 隠岐之三子島   億岐三子州
 筑紫島      筑紫州
 伊岐島      壹岐嶋
 津島       對馬州
 佐度島      佐度州
 大倭豊秋津島   大日本豊秋津州
 比較してみると「淡道之穂之狭別島」と「淡路州」は、それ以外の島洲と比べて文字数、訓読も大きく異なり、異質である。
 注「伊豫二名州」を『一書第六』では「伊豫洲」と記し、「億岐三子州」を『本文、一書第六、七、八』では「億岐洲」と記している。このことから、「淡道之穂之狭別島」も三段読みの冠辞部分「淡道」として「淡路洲」と比較する考えもある。しかし、『書紀』には「穂狭別」の記述がないこと、更に「淡道之穂之狭別島」は以下に論じる「亦の名」であることから、このような比較はできない。

 

 「亦の名」が原因

 この差異の原因は、『古事記』の「亦の名」と考える。『古事記』には独自の伝承があり、島国の名前を挙げた後に、亦の名を記載している。この「亦の名」は、その国の古名と考えられ、人名によるものと分国名によるものの二種類がある。
 ただ、「佐渡島」と「淡道之穂之狭別島」の二つには「亦の名」の記載がない。このことを大系本では次のように説明している。
(イ) 「淡路島と佐渡島を除いて、神としての別名をもつ。」(小学館大系本注)

(ロ) 「淡道之穂之狭別島は淡路島を人体化したもの」、「 佐渡島、この島のみ別名がない」(岩波体系本各注)
 (イ)は「淡道之穂之狭別島」を島国名と考えて、「亦の名」がないとしている。(ロ)は島国名の有無を説明しないで、いきなり、「淡道之穂之狭別島」は「亦の名」としている。いずれも、「淡路洲」は「兵庫・淡路島」であるとの先入観による説明である。先入観を除いて考えると、次の二つのことを確認することができる。
 その一は、「淡道之穂之狭別島」は島国名ではなく、「亦の名」である。「淡道之穂之狭別島」以外の「亦の名」は十八あるが、その内、「別」と云われる分国名は九ある。この「淡道之穂之狭別島」は島を取ると、「淡道之穂之狭別」であり、この「別」の分国名群と同様である。
 その二は、島国名が欠けていることある。島国名を書かずに、「亦の名」のみを記載したため、『書紀』の州名と差異が生じたのである。なぜ、このような異常な表記を行ったのであろうか。『古事記』編纂時には、「兵庫・淡路島」は無名の島なのか。もし、無名の島であれば、『古事記』に「淡路島」の名は出てこないことになる。古事記には淡路(淡道、淡道島を含む)は四ヵ所に記載があり、その内の仁徳記に次の記述がある。
 「是に天皇、其の黒比賣を恋ひたまいて大后を欺きて曰りたまひしく、淡道島を見むと欲ふとのりたまひて、行でましし時、淡道島に坐して、遥に望けて歌ひたましく」とある。
 この「淡道島」はこの説話上からも「兵庫・淡路島」と思われる。当時、「兵庫・淡路島」は「淡道島」と呼ばれていたことになる。「淡道之穂之狭別島」と「兵庫・淡路島」とが等号で成立するのであれば「淡道島亦の名は淡道之穂之狭別島」と記載することができた。それを避けたのは「淡道之穂之狭別島」は「兵庫・淡路島」とは異なる国であったからである。更に他の事情を考慮しても、島国名を欠いた記述をせざるを得なかったのは、その時点では、既に「淡路洲」が消滅し、古名しかなかったためと考えられる。ここで消滅とは、「淡路洲」の国が滅び、荒地になったことだけでなく、その土地と人々は他の国へ併合され、国がなくなったことを意味する。

 

 「洲」は「くに」と読む

 『書紀』の「洲」をどのように読むのであろうか。これまでは「洲」は「しま」と訓読されてきた(体系本による)。したがって、淡路洲は「あわじのしま」と読まれてきた。この読み方なら、「淡路洲」は「兵庫・淡路島」と等号で結ばれることになる。しかし、古田武彦氏は「洲」は「島」ではなく、支配領域を示す国であり、「洲」は「くに」と読むとの見解を示した。その通り、『書紀』の次の記載も「島」と「洲」とが区分されており、「洲」は「くに」と読み、一定の支配領域を示す用語と考える。
(1) オノゴロ嶋については、『本文』『一書第一』、『一書第二』、『一書第三』、『一書第四』とも「嶋」と書き、特に『一書第八』では、オノゴロ嶋は大八洲国の胞と記載されているが、その場合も「嶋」と書かれている。同一伝承中に、島と洲が併記されている。
(2) 一つの島が一つの洲である「壱岐洲」「対馬洲」はそれぞれ「洲」と書いてある。一方、『本文』の大八洲国にならない「壱岐嶋」「対馬嶋」については「嶋」と表記している。「島」と「洲」が区別されている。
 以上から「淡路洲」は「あわじのくに」と読み、名前だけから、「兵庫・淡路島」と等号で結ぶことはできないのである。

 

 疎外された「淡路洲」

 「淡路洲」はその淵源は古く『一書第十』にも記載される洲であり、各一書のすべてに登場する唯一の洲である。更に、生まれるときも、各一書での順番は、始めの頃となっている。この神話群のそれぞれを伝えた国は「淡路洲」の存在を知っていたことになる。しかし「淡路洲」について『本文』では、疎外する説話が付加されている。内容は次の通りである。
 「先づ淡路洲を以って胞とす。意に快びざる所なり 故、名けて淡路洲と曰う」
 「淡路洲」は胞として生まれるが、しかし、両親は親の意に合わない子として「あわじのくに」と名づけたという。これまでは、第一子は生みそこないとする伝承の現れと説明されてきた。しかし、一書群にはこのような説話がなく『本文』だけに、この伝承を明文化したのは他の理由からと考える。『本文』が成立した頃には「淡路洲」は消滅して、「淡路洲」の人々への配慮が必要でなくなり、勝者が「淡路洲」を滅ぼした言い訳としたと思われるのである。
 『書紀』には「淡路洲」以外にも「洲」を滅ぼした伝承が残っている。それは「蛭児」「淡洲」である。この二つの国も、子として生まれるが、子から除外されている。親から疎まれた洲である「蛭児」「淡洲」「淡路洲」について『書紀』の記載内容を要約すると次のようになる。
(1) 「蛭児」は『一書第十』では大八州国である。したがって「蛭児」とは、人名の名前が付けられた洲である。『古事記』が「亦の名」と記載した島国名と同様と考える。
(2) 「淡洲」は『一書第九』で大八州国である。『一書第六』では「淡洲」と「淡路洲」は一体となり、胞である。
(3) 『一書第一』では、先ず生んだ「蛭児」を葦船で流し、次に生んだ「淡洲」は子から除外する。その理由を夫婦の行為のとき陰神が先に誘ったからとしている。除外される洲には、まったく訳も解らない理由である。
(4) 『本文』では、「淡洲」は記載されず、「蛭児」については、子の除外を継承するが、流し捨てた理由を三歳まで脚が立たなかったことに変更している。又、「淡路洲」を大八洲国から除外して胞とするとともに、親からの疎外説話による命名譚を付け加えている。なお「淡路洲」が胞として、大八洲国から除外されるのは『本文』の他『一書第六』『一書第九』にもあることは、滅ぼされた時代はもっと早いと思われる。
 このように見ると、「蛭児」「淡洲」「淡路洲」の三つの国は、国生み神話の早い時期に生まれるが、その後、「蛭児」「淡洲」が滅ぼされ、やがて「淡路洲」も滅ぼされたことを勝者側から書いた伝承であることがわかる。
 『書紀』の淡路(洲、嶋を含む)の記事は全部で二十七例ある。それらの記事に、一例も淡路の王や君、そのほか職名の記事がないことは、「淡路州」は滅ぼされた洲であることを裏付けている。

 

 『記紀』からの結論

 『記紀』に記載された「淡路洲」は次のようになる。
 第一は、「淡路洲」は「兵庫・淡路島」ではない。『書紀』の「淡路洲」は「あわじしま」と読めない。『古事記』の島国名の欠落は「淡路洲」が「淡路島」ではないことを明確に示している。「淡路洲」が「兵庫・淡路島」と異なる事により、大八洲国で瀬戸内海にある洲は「大日本豊秋津洲(大分県別府湾付近)、「伊予二名洲(愛媛県松山市付近)」、「吉備子洲(岡山県児島湾付近)」の三洲となる。この三洲についての『本文』『一書』の全ての記載は同じ順序であり、それは大分、松山、岡山の順である。つまり、九州を基点として東への拡大である。
 このように、「淡路洲」が「兵庫・淡路島」から解き放たれると、国生み神話の大八洲国は整然とした拡大順に現れることは「淡路洲」が「兵庫・淡路島」でないことの傍証ともいえる。
 第二は、「淡路洲」は滅ぼされた洲である。『古事記』の島国名の欠落および『書紀』の親からの疎外伝承は二つとも「淡路洲」が滅ばされたことを示している。『書紀』の記事には「淡路洲」の君、国主等が記されていないことは、その裏付けと考える。

 


 これは会報の公開です。史料批判は、『新・古代学』(新泉社)・『古代に真実を求めて』(明石書店)が適当です。

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