2008年 6月 6日

古田史学会報

86号

1 洛中洛外日記
第174話 2008/05/03
古写本「九州年号」の証言
 古賀達也

2 伊倉いくら 5
天使宮は誰を祀るか
 古川清久

3自我の内面世界か
 俗流政治の世界か
『心』理解を巡って(三)
 山浦純

伊勢王と
筑紫君薩夜麻の接点
 正木 裕

5「白鳳以来、朱雀以前」考
『続日本紀』神亀元年、
聖武詔報の新理解
 古賀達也

「トロイの木馬」メンテナンス
 冨川ケイ子

私の古代史仮説
 水野孝夫

 

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トロイの木馬   冨川ケイ子(会報84号)
アガメムノン批判 冨川さんの反論に答えて 古田武彦(会報85号)
「トロイの木馬」メンテナンス 冨川ケイ子(会報86号)
「遠近法」の論理 再び冨川さんに答える 古田武彦(会報87号)


「トロイの木馬」メンテナンス

相模原市 冨川ケイ子

はじめに

 古田武彦氏の「ソクラテス=批判者」説はおもしろい。応援のつもりで「トロイの木馬」(『古田史学会報』八四号、二〇〇八年二月十一日。以下「トロイ」という)なる駄文をつづった。ところが、予想もしないことに当の古田氏から「反論」(「アガメムノン批判 ーー冨川さんの反論に答えて」『古田史学会報』八五号、二〇〇八年四月八日。以下「アガメムノン」という)を賜った。ありがたいことである。しかし、その「反論」には事実無根の点がある。筆者の意図を誤解されたかと思われる点もある。再考を願ってこの文をしたためることにした。些少なりとも「反論」へのお礼とすることができれば望外の喜びである。

 

古田武彦氏のソクラテス論

古田氏のソクラテス論は次の各論文に展開されていると把握している。
(1) 「閑中月記」第四八回 ソクラテスの弁明(第一回)
(2) 「寛政原本と古田史学」
(3) 「閑中月記」第四九回 ソクラテスの弁明(第二回)
(4) 「学問論」第七回 ホメロスとソクラテス
(5) 「学問論」第八回 ホメロスとソクラテス
( (1) (3) (4) (5)は『Tokyo古田会News』一一五〜一一八号に、(2)は『古田史学会報』八一号に所収)
 これらの論文からの引用と要約によって、古田氏の「ソクラテス=批判者」説の骨子を整理してみたい。(カッコ内に出典として右論文の番号を示す。)
1.(疑問の提示)ソクラテスへの告訴内容は死刑に値するか。すなわち、「デルフォイの神託」(ソクラテス以上の知者はいない)を「実証」しようと著名人たちを訪問し、質問を浴びせることが「死刑」に値するか。「不正を行い、また無益なことに従事する」「地下ならびに天上の事象を探究し」「悪事をまげて善事となし、かつ他人にも教授する」という告訴内容は、死刑に値するか。(4)
 「なぜ、これしきのことで、アテネ市民の代表者たち(五〇一人の裁判官)は、このソクラテスに死刑を宣言したのか。」(5)
2.(仮説の提示)古田氏は「「ギリシャ文明の成立の基盤」に対する、辛辣な根源の批判者としてのソクラテス」を発見した(5)とする。(そのために、批判された人々から告訴され処刑された、という仮説だと筆者は理解している。)
 そのソクラテスの批判とは次のようなものであった。
 a.「「現在のギリシャの富裕と繁栄」自体を、アン・フェアな「トロヤ大虐殺」の結実として、これを否認する。─これがホメロスの立場、そして彼を尊敬するソクラテスの思想性だったのである。」 (4)
 b.「ソクラテスには、「デルフォイの神託」という、庶民の中に?信奉者?は少なくなかったであろうけれど、しょせん「恐おそれ山」風味の"田舎いなかの神""片端かたはしの神"の名において、ギリシャ社会の「中心をなす神々」に称揚されその"名誉ある子孫"を称していた「名家」や「名士」を問いつめ、追いつめた。 ーーこれが主因だ。」 (4)
 c.アテネ市民や有識者は、「みずからの来歴と歴史を誇っていた。木馬の計の「発案者」だったり、「市民大虐殺の指揮者」だったりする、自分たちの祖先や神々とのつながりを誇示していたのである。それをソクラテスは批判した。」(5)
 d.ソクラテスは裁判官の情に訴えるのではなく、「かえってアテネの国家の「非」を説いた」(1)

3.(論証1)アキレウス理解
 a.ソクラテスがプラトン著『ソクラテスの弁明』(以下『弁明』という)で述べるところによれば、アキレウスとソクラテスの共通項は、「正しいこと」のためには「死を恐れない」ことである。( (2)(3)(4) )

 b.アキレウスは「義侠」の戦士である。アキレウスは「ヘクトルの遺骸を、あらためて高貴な布でつつみ、馬車に乗せてトロヤの王城に向った。そしてトロヤ王に対し、「貴方の息子は見事に戦って見事に死なれた英雄です。御遺骸をおとどけしにまいりました。」と次(告)げた。トロヤ王(プリヤモス)は感泣しつつ、息子の遺骸を受け取った、というのである。」(4) 「その騎士道の精神こそ真のギリシャ。」(5)

4.(論証2)ホメロス理解
 『イーリアス』は第二四歌のヘクトルの葬儀で終っている。「トロヤ落城譚」「木馬の詭計」は存在しない。ホメロスはそのような「新ギリシャ」の「反、騎士道」のあり方を嫌った。「沈黙の批判」である。「それがホメロス「吟行」の意図、真の究極目標だったのではあるまいか。」(4)
5.(論証3)ソクラテスがあの世で会うことを期待する人々は、(眼前の五〇一人とは別の)「真の裁判官」(5) 、「一生を正しく送った半神たち」(2) 、そして「ソクラテスはホメロスを以て真の知己と見なした。だからこそ死後に会うべき人として、最後にその名をあげているのである。」(5)

 

「トロイの木馬」で書いたこと

 筆者は、2aに引用した「「現在のギリシャの富裕と繁栄」自体を、アン・フェアな「トロヤ大虐殺」の結実として、これを否認する。─これがホメロスの立場、そして彼を尊敬するソクラテスの思想性だったのである。」の部分を古田説のエッセンスであると考えた。しかしながら、「現在のギリシャの富裕と繁栄」の一節がどうしても理解できなかった。当時、ソクラテスの祖国であるアテナイは敗戦の苦渋をなめていた。勝者であるスパルタなどの諸国が「富裕と繁栄」を謳歌しているというならまだわかるが、敗戦下のアテナイがなぜ「富裕と繁栄」なのか? なぜアテナイではなく「ギリシャ」と書くのか? 
 そこで、とりあえず「ギリシャ」は棚上げとし、アテナイの敗戦、それに先立つメロス島での住民殺害・奴隷化、この事件への批判を内に秘めて上演されたエウリピデスの悲劇作品「トロイアの女」──という補助線を引いた。ソクラテスが演劇に関心を持っていたことにも触れた。そのうえで、「ソクラテス刑死の背景にあったのは、不正行為の結果としての繁栄ではなく破滅であった。ソクラテス裁判の実相は、破滅的社会状況の中で、それをもたらした責任を自ら問わない人々が、それを問うソクラテスを罪に問うた点にある」との結論を引き出した。それはつまり、ソクラテスの視点を、彼自身が生きた時代に据えたことにもなる。彼が処刑されたのは、彼の時代におけるアテナイの不正を批判したからであろう。彼は、アテナイのためにそうすることが正しいと信じた。しかし、五百人だか五百一人だかの裁判官 (注1) は批判される側の人々だった。
 そう解することで「ソクラテスは批判者」説はようやく理解できた。


古田氏からの「反論」

 自前の補助線を引けば、元々の古田説はゆがむ。そこで、「アガメムノン」により、時計のねじを逆に回されたような気がする、との評とともに、次のような「反論」をいただいた。(数字に丸をつけた項目。元からのソクラテス論を繰り返された部分は省く。)
(1).「わたしの「新発見」を退け、御自分の"新見地"のように書いている
(2).メロス事件、エウリピデスの「トロイアの女」、アテナイの敗戦など、冨川の"新しい見解"は「ギリシャ史の常識」だ。平林六弥氏から聞いている。(編集部によると、「アガメムノン」の「平村」は「平林」の誤植だそうである。)
(3).八百年前の出来事は「時間の隔たりが大きすぎて非現実的」には唖然とした。七、八百年前の法然や親鸞、七〇一年の「大化改新」(大宝律令制定か?)などは、現代の重大なテーマにはなりえないと思うのか?
(4).一番新しい発見。ソクラテスはアガメムノンを「トロイア攻の大軍を率いた人」と述べて実名を避けている。それはソクラテスがトロイア戦争の大義名分に「?」を持っていたことを明晰に示すものである。
(5).冨川の「些少のまちがい」。『弁明』には、アキレウスに会いたい、の文はない。自分の「想像」であろう。

 

冨川の「新しい見解」

 お答えする。
 反論(1)(2)の「自分の"新見地"」「冨川の"新しい見解"」は事実無根である。第一に、筆者の知識が概説書レベルでしかない(それはうそではない)ことは最初に白状している。読みかじったことを書き並べているだけである。どこが「新しい」のか不審である。第二に、基本的な発想を古田氏に負っていることも明記している。第三に、それをいささかはみ出す部分についても、先行説が必ずあるはずである、と書いて、ご存知の方のご教示を乞うている。その気持ちは今も変わりがない。

 

ギリシア史の「常識」

 反論(2)についてさらに。「現在のギリシャの富裕と繁栄」はおそらく古田氏の「新説」の一つである。
 先ほどから述べているように知識の乏しい筆者は、アテナイの敗戦とその前後の事件を「ギリシャ史の常識」だと思って「トロイ」を書いた。概説書のレベルということはつまり通説、常識の範囲ということであって、当然、筆者の独自の考えなどであるはずがない。ところが古田氏は、そんなものは「ギリシャ史の常識」だ、冨川は「常識」を自分の「新説」であるかのように書いた、とおっしゃるのである。
 アテナイの敗戦にいたる一連の事件が「ギリシャ史の常識」ならば、第一に、古田氏はなぜ「現在のギリシャの富裕と繁栄」とお書きになったのか。第二に、冒頭に挙げた五本の論文は、どこにもこれらの事件に触れられていない。
 「現在のギリシャの富裕と繁栄」と「ギリシャ史の常識」は両立しない。きわめて単純に言ってしまえば、「富裕と繁栄」を切り捨てて「破滅」をはめ込んだのが「トロイ」である。古田氏のソクラテス論の中に新しくもない「ギリシャ史の常識」を持ち込んだことが、「トロイ」の「新しい」ところだったと、まあ、言えば言えるのであろうか。不本意であるが。
 ご自分の「現在のギリシャの富裕と繁栄」説を固守なさるか、それとも「ギリシャ史の常識」にお立ちになるか、いずれにせよ、平林六弥氏の著書なり論文なりをご提示いただくわけにはいかないであろうか。その中に「現在のギリシャの富裕と繁栄」説の根拠が記されているかもしれない。

 

八百年前と「今」

 反論(3)について。八百年前の出来事は「時間の隔たりが大きすぎて非現実的」だ、としたのは、第一に、「アン・フェアな「トロヤ大虐殺」」をただちに「現在のギリシャの富裕と繁栄」に結びつけるのは短絡であるように思うからである。「現在のギリシャの富裕と繁栄」が実現するためには、トロイア戦争での勝利だけではなく、もっとたくさんの無視できない要因があったはずである。筆者はそれを「トロイ」では「ギリシア人自身の数百年にわたる努力の賜物」と書いた。八百年の時間の中には八百年分の中身があったことを述べただけなのに、古田氏は筆者が法然や親鸞や「大化改新」の歴史的意義を無視したように言われる。まさか八百年間の歴史はがらんどうだったとはおっしゃるまいが。
 第二に、八百年前の歴史に現実感が生じるのは、それに「現代史的」な意義が見出されたときである。では、「トロヤ大虐殺」はどのように「現在のギリシャの富裕と繁栄」(実は破滅)と結びつくのであろうか。ここで、トロイア戦争、メロス事件、アテナイ敗戦を対比してみたい。これは松本郁子氏が提示された「ラグ」の問題である。(注2) タイム・ラグ、プレース・ラグのほかに、ポジション・ラグというものもあるようである。ポジションとは、ここでは勝者と敗者の位置関係である。
 元来、勝者が敗者の住民を殺害・奴隷化することはこの時代の「常識」であって、そうしたところでなんら道義的な責任を問われることはなかった。アテナイはトロイア戦争では勝者の側にいたし、メロス事件もそうだったが、その翌年、エウリピデスは悲劇作品「トロイアの女」で敗者のトロイアの立場に立ち、家族を殺され、奴隷の身分に落ちた女たちの嘆きを描いた。時間・場所・位置の三重の「ラグ」によって、この作品はメロスのメも口にすることなく、そこでの成年男子の殺害と女たちの奴隷化が不正・不法であったことを人々に気づかせた。見事ではないか。このとき初めて、それまで当然とされてきた敗戦国民への処遇に深刻な疑問が投げかけられ、これ以後、トロイア戦争を語れば、少なくともアテナイでは、メロス事件を想起せざるをえないことになったのである。エウリピデスは、トロイア戦争に、新しい「現代史的」な意味合いを見出したわけである。
 アテナイ敗戦後は、さらに別の意味が加わった。アテナイは、現実にトロイアやメロスと同じ立場に立った。クセノポンによると、スパルタ軍によって包囲されたときのアテナイ人は、メロス人などを「包囲によって征服したときの自分たちの仕打ちが、今度はわが身に降りかかるのだと考え」て嘆いたという。(注3) 彼らがトロイアやメロスの人々のように、殺されたり奴隷にされたりせずにすんだのは、もっぱら、勝者の側がそうしなかったから、という理由による。アテナイが敗戦にもかかわらず皆殺し、奴隷化の運命をまぬがれたとき、その道義の失墜は決定的となった。
 「現代的」な意味が見出されれば、八百年といわず、どれほど昔であっても、現実的な存在感を持つはずである。ソクラテスは(エウリピデスが先行者であるけれども)「今」を批判するために八百年前のトロイア戦争をおもてに立てた、と考えればいいのではなかろうか。外側と内側は見えないところでつながっている。ちなみに現代日本とソクラテス時代のアテナイは、洋の東西と二四〇〇年の時の隔たりを超えて、敗戦という歴史的経験をともにしている。


アキレウスに会う

 反論(5)である。古田氏が指摘されるように、確かに『弁明』には、アキレウスに会いたい、という文面はない。そこで、そういう「読み」をしたわけを述べる。ここに二つの文がある。
A.「君、それは正しい言葉じゃないよ、もし少しでも何か役に立つ男は生か死か、の冒険のことを勘定に入れなければならない、事をなすときには、彼のなすのが正しいことか、それとも不正なことか、また善い人間のする仕事か、悪い人間のする仕事か、というあのことだけを調べるのではなくって、と君が思っているのなら。というのは、君の言葉によると、半神たちのうちでトロイアで死んだ者たち、時にテチスの息子はくだらぬものだということになろう、彼は忍んで何か恥を受けることよりも、むしろあの冒険をこんなにも軽んじたのだから・・・・・・」 (注4)
B.「だってもしひとが裁判官だと称しているこれらの人々から解放されて、黄泉の国に達し、そこで裁判をしているということがまた言われている本当の裁判官たち、すなわちミノスやラダマンチュスやアイアコスやトリプトレモスやその他自分の生涯において正しい者であることを示した半神たちを皆発見することが出来るなら、この旅行はくだらぬものであろうか。」 (注5)
 まず、Aにある「テチス(テティス)の息子」はアキレウスを指す。人間の父ペーレウスと女神の母テティスとの子である。
 AB二つの文を検討しよう。第一に、これらの文は、「正しい」「半神」という用語で共通する。まずAでは、正と不正、善と悪よりも、生死を軽く考えるという「半神」たちの代表として「テティスの子」(アキレウス)を挙げている。ここでソクラテスは正と不正、善と悪を対比しているが、「もし少しでも何か役に立つ男」のなすことと断わっているのであるから、当然彼は「生か死か、の冒険」を勘定に入れることなく正と善を選ぶのであって、「生か死か、の冒険」を勘定に入れて不正と悪を選ぶことはない。「テティスの子」もまた「あの冒険をこんなにも軽んじ」たので、「忍んで何か恥を受ける」ような不正と悪は選ばなかった。つまりアキレウスは正しい生き方・死に方をした半神である。次にBではストレートに「自分の生涯において正しい者であることを示した半神たち」と言う。すなわちAB両者の「半神」は「正しい」という共通の性格を持っている。(注6)
 第二に、『弁明』全体の中に、「半神」という語はこの二箇所にしか出現しない。Aの「半神」とBの「半神」が無関係に言われたとは考えがたい。
 第三に、Bの「半神」の直前に、アキレウスを連想させる名前が登場している。アイアコスである。彼はペーレウスの父、つまりアキレウスの祖父に当るのである。『イーリアス』にも「アイアコスの裔」でアキレウスを指す用例がある。ソクラテスの時代、ホメロスの作品がアテナイ市民の一般教養であったとすれば、アイアコスとアキレウスの系図は常識に属した。
 以上により、ソクラテスがBであの世で会うことを想定する「半神」たちの中にアキレウスが含まれていると考えた。

 

ソクラテスの面談リスト

 「反論」にはこれでお答えしたつもりであるが、ソクラテスはBを含む前後の文で、あの世で会うことができるであろう人々の名を次々と挙げている。いわば、ソクラテスの面談リストである。これがおもしろいので蛇足を続ける。
 実は「トロイ」にはソクラテスのトロイア戦争観が必ずしも明らかでないという弱点があった。その点、古田氏が「トロイア攻の大軍を率いた人」を「新発見」されたのは心強い(「アガメムノン」、注7)。なぜなら、ソクラテスの面談リストの中には、ほかにもトロイア戦争関係者が三人いる。パラメデス、アイアス、オデュッセウスである。
 オデュッセウスは『イーリアス』では脇役であるが、ホメロスのもう一つの叙事詩作品『オデュッセイア』では主人公である。「知略に長けたオデュッセウス」などと呼ばれ、かの「木馬」作戦を提案し、遂行した。戦後、漂泊中、ある王のもとで、楽人にトロイア落城を歌わせるシーンがある(第八歌)。『イーリアス』にはないトロイア落城を、ここではホメロスは簡略ながら歌っていることになる。また、オデュッセウスはあの世へも旅をし、アガメムノンやアイアスと話し、ミノスやシシュポスなどを見る。──このオデュッセウスを、ソクラテスは「トロイア攻の大軍を率いた人」ともども、「知者」であるかどうか疑うグループに入れた。
 パラメデス、アイアスは「不正な裁判によって殺されたもの」のグループにいる。彼らはオデュッセウスと対立して冤罪で死んだといわれる。古ギリシア軍には不正が蔓延していたらしい。しかし、『弁明』にも、ソクラテスが反対したにもかかわらず処刑された将軍たちや逮捕された人がいる。対象者はいくらでもいたであろうこのグループに、ほかでもないトロイア戦争の関係者を入れたのは、それなりの理由があったのであろう。
 無能な総司令官と参謀に率いられた古ギリシア軍は、仲間に対して「不正な裁判」を行い、敗戦トロイアの国民に対する処遇も不正だった──対する「現代」アテナイも指導者にめぐまれないので同様な愚行を繰り返している、とソクラテスは暗に言っているのではなかろうか。
       (二〇〇八.五.十九)

(注)
1 アリストテレス『アテナイ人の国制』村川堅太郎訳、岩波文庫、1980年、一一〇頁及び二八九〜二九〇頁注を見ても、筆者には裁判官をどちらの人数とすべきか分りかねる。
2 松本郁子『太田覚眠と日露交流』ミネルヴァ書房、二〇〇六年
3 クセノポン『ギリシア史1』根本英世訳、京都大学学術出版会、一九九八年、六九?七〇頁、及び七一頁
4 『ソクラテスの弁明』山本光雄訳、角川文庫、昭和二九年、三一頁
5 前掲書、五八頁
6 ポリスの市民が同時にポリスの兵士でもあったこの時代(ソクラテスも出征経験がある)、戦友が戦死したのに、自分だけ何もせずに生きることはできない、というアキレウスの言葉は人々の心を打ったのではないか。それでアキレウスの行動は正しい、とされたのであろう。Aの文からアキレウスは「死を恐れない」とまで読み込めるかどうか筆者は確信を持てない。なお、アキレウス理解に関わって『イーリアス』を読み直した結果、「トロイ」で「英雄たちの正々堂々の戦い」「騎士道精神の持ち主」云々としたのは、古田氏の見解に無批判に引きずられたものとして反省し、撤回したい。
7 アガメムノンの実名を避けているのは、ソクラテスがトロイア戦争の大義名分に「?」を持っていたことを明晰に示すという古田氏の「一番新しい発見」は、実名の忌避はその人への否定的評価を表わすという前提条件を満たす必要があるが、同じ『弁明』の中で、デルポイの神託をもらったカイレポン(死亡)に代えて証言を求めたその兄弟の実名を述べていないことが障害になるのではないか。


 これは会報の公開です。史料批判は、『新・古代学』(新泉社)・『古代に真実を求めて』(明石書店)が適当です。

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