2005年10月07日

古田史学会報

70号

鶴見山古墳出土
石人の証言
 古賀達也

九州古墳文化の独自性
横穴式石室の変遷
 伊東義彰

日本の神像と月神の雑話
 木村賢司

4書評
『親鸞』古田武彦
(清水書院)
林 英治

『神武の来た道』
 横田幸男

神々の亡命地・信州
古代文明の衝突と興亡
 古賀達也

6連載小説『彩神』
第十一話 杉神 4
  深津栄美

7船越(補稿)対馬
阿麻氏*留神社の小船越
 古川清久

教科書の検討
 和田高明

「大王のひつぎ」に一言
読売新聞七月二十五日
・八月三日の記事について
 伊東義彰

10悲痛の弔文
藤田友治氏に捧げる
古田武彦

事務局便り

 

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日本の神像と月神の雑話

豊中市 木村賢司

 お寺に本尊仏があるように、神社に本尊神が祭られていそうであるが、神像というものを見たことがなかった。ところが京都の松尾大社の宝物館で三体の神像を見た。大山咋神(老年男神)と市杵島姫命(女神)そして月読尊(壮年男神)である。等身大の木造坐像である。
 松尾大社の主神はお酒の神様として有名であるが、主神は市杵島姫命である。この女神は宗像三女神の一人で安芸の宮島、厳島神社の祭神と同じである。なぜこの神がお酒の神様になったのか、ここの名水とかかわりあり、としている。
 話しは少しずれるが、宮尾登美子の小説「蔵」にでてくる新潟の造り酒屋の盲目の一人娘がこの女神像に触れ、「女が酒造りをして、どうしていけない、お酒の神様は女神ではないか」と、反対する父親を必死に説得する感動の場面がある。
 松尾大社の宝物館の説明案内人はこの神像にほれこみ、この像の魅力をあますところなく話してくれる。それが大変面白い。まだ、この像を見ていない方は一度拝観をお勧めする。
 さて、話はこれから。ここの神社では大山咋神は山の神、市杵島姫命は海の神、月読尊は摂社の神となっている。私はこれまで月読尊は女神と思っていたので、案内人に「ここの月読尊は男神ですね」と云うと「当神社では男神です」と答えられた。館を出て同行の水野さんに月読尊は女神ではなかったのか、と聞くと男神と思っていた、との返事。どうもしっくりしない。
 そこで、三月の史跡めぐりハイキングに参加された方々に聞くこととして、挙手をしてもらった。七三の割合で女神のほうが多かった。でも、「神様の西村さん」が男神に手をあげ、だって古事記に天照の弟と書いてある、と云われた。古事記に書いてあるのであれば勝負あった、と全員男神で納得。
 しばらく歩いていて、ふと、私は「確かドイツ語の月は男性名詞だったなー、月は男かー」とつぶやいた。すると誰かが「いや、女性名詞のはず」といった。
 ハイキングの翌日、水野さんと大下隆司さんからメールが入った。結論はドイツ語の月は男性、月神は女性名詞。太陽は女性、太陽神は男性名詞とわかった。そして大下さんから、ラテン、フランス、イタリア、スペイン、ルーマニアのラテン系言語の月はすべて女性名詞。ゲルマン系はドイツ語の月は男、でも、オランダ語は女性。ロシア語では女性名詞。でも、ロシア語の太陽は中性で、月神・太陽神という語はないそうです(ウクライナにいる小野元裕さんにメールで聞く)。さらに大下さんは月神・太陽神について下記の通り調べられた。

        月神    太陽神
1.ケルト神話  ー     男
2.シュメール  男     男
3.インド    男     ー
4.アステカ   ー    男/女
       交互五年ごとに変わる?

 当然といえば当然であるが、民族、言語で異なること、似ていることを知る。外国の月と月神のことも面白いが、まあ、ここらでおくとして、日本書紀のどこに(西村さんが古事記といったのを私は日本書紀と聞き違えていた)書いてあるのか、一応確認しておこうとして探したがない。そこで、四月度のハイキング時に外国の月の性の話と共に、ないと話すと、古事記だという。なーんだ古事記か道理で見当たらないはず・・・。その後しばらく、他のことで忙しくしていたが、すっきりしたので、古事記で確認した。でも、どこにも書いてない。早速水野さんに電話した。水野さんも調べられ、ないなーの返事。水野さんが西村さんに連絡。結局、西村さんの記憶違いで、月読尊の性は男とも女とも古事記・日本書紀では不明とわかった。
 この一文は「さすが神様の西村さんはすごい」で終わろうとしたのに、神様でなくオシャカとなった。
 では、七割の方が月読尊を女神となぜ思ったのだろう? 私の場合は「月の女神」というイメージが何時の間にかあり、また、須佐之男命の乱暴が目立ちすぎて、月読尊が長男で男という感じがどうしてもしなかった。かぐや姫も月に帰ったし・・・。
 その後、水野さんから月読に関するいろいろのインターネット情報の連絡を受けたが、いずれも月読尊を創造した当時でなく、後の考えである、とみて興味うすれる。したがって私は現在、月読尊は女神にしておきたい。論理的に男神であると誰かが立証してくれるまで・・・。
 月読尊の話は、九州の故灰塚照明さんから壱岐島の月読神社(高神さん)の話や久留米の高良大社を土地の方が高神さんと呼んでいた、と「君が代の源流を訪ねる旅」で聞いた。また、室伏さんが、それらを受けて、確か幻想史学「伊勢神宮の向こう側」で月読命を復活させている。内容はど忘れしたが・・・。

 松尾大社の摂社、月読神社は壱岐の月読神社からの勧請とインターネット情報に載っていた。壱岐の月読神社は対馬の阿麻氏*留神社とともに、どうも特殊の感じである。またぞろ、幻想史学的といわれそうだが、私は室伏さんの幻想史学もユニークで面白かった、と今も思っている。
 月読尊はここらで終わり。日本の神像の話。神像はどうも、あちこちにあるらしい。熊野速玉大社所有の「木造熊野速玉大神坐像、木造夫須美大神坐像、木造家津御子大神坐像、木造国常立命坐像」の四体を国宝に指定するよう、文化審議会が答申した。と三月十九日の新聞に載った。奈良薬師寺の休丘八幡宮と京都東寺御影堂にいずれも国宝の八幡三神像があるとのこと。先月の「仏舎利」同様にこれも、知らぬは・・・となりそうである。松尾大社の三神像は大山咋神、市杵島姫命、月読尊の像か、とも言われている。とあり、この重要文化財も本当は何という神様の像か今ひとつすっきりしていない。
 この雑文、誠にお粗末、でも神様の話、オシャカにもできず・・・。
     以上 ‘〇五.四.十五.


 これは会報の公開です。史料批判は、『新・古代学』(新泉社)・『古代に真実を求めて』(明石書店)が適当です。

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