『歎異抄』と現代  円熟の息吹き伝える書

古田史学会報
1998年 6月10日 No.26


『歎異抄』と現代 (『南御堂』第三二七号より転載、一九八九年十一月)

円 熟 の 息 吹 き 伝 え る 書

古田武彦

『歎異抄 』で親鸞に逢う

 わたしが親鸞に相逢したのは、『歎異抄』においてであった。人生の達人、というより、人間そのものの言葉がわたしを打った。青年期のはじめだった。以来、四十余年、今も打ちつづけている。
 先般、久しぶりの親鸞論争(平松令三先生古希記念会」同朋舎刊)のさ中、論者(二葉憲香さん)は、わたしに対していわれた。
「古田の立場からは、親鸞の思想をうかがう上で、第二史料たる『歎異抄』や『恵信尼書簡』によるべきではない」と。これはわたしの立場を第一史料(親鸞自作の書)主義と、“誤解”されたものだ。
 だが、わたしはちがっている。親鸞の自筆著述・文書の貴重さはいうまでもない。無上だ。しかし、それと同時に、当人の妻(恵信尼)の自筆書簡の貴重さ、これも比類がない。例えば、イエスの母マリアが我が子について語った自筆文書や釈迦の妻ヤショーダラが、あるいは「出家」以前の夫について語り、あるいは「出家」時の自己の葛藤について語った自筆文書が出現した、としよう。狂喜しない宗教研究者はいないであろう。ところが、親鸞研究者には、それ(妻の自筆文書)があるのだ。

親鸞研究の貴重な史料

 『歎異抄』も同じだ。イエスの言葉を聞き、言行に触れた弟子たちの聞き書き、見書き、それが初期三福音書(マルコ・マタイ・ルカ伝)だ。これに当たるのが『歎異抄』である。親鸞思想をうかがうのに、これが使えない、となったら、それは“イエスを知るのに、聖書(福音書)を使ってはならぬ ”それと同じだ。それだけではない。仏教の原始経典は、「結集(けつじゅう)」という、むつかしい言葉を使っているけれど、要するに“弟子たちの聞き書き”だ。『歎異抄』と同質の「史料」なのである。『歎異抄』が使えないなら、同じく、“釈迦の思想を知る上で、原始経典をはじめとする、すべての経典(大蔵経)は使えない”こととなってしまう。仏教の“自殺”だ。
 もちろん、わたしは、論争の相手(二葉さん)を非難しているのではない。逆だ。深く感謝しているのである。「論争」して下さったおかげで、右の論点に深く当面 することと なった。厚く厚く感謝する他はない。

若い研究者から論争を

 思ってもみよう。親鸞の場合、第一史料たる、親鸞自筆・自作文書と、第二史料たる“弟子の聞き書き”の『歎異抄』、その上、身辺の密着者(当人の妻)の自筆文書まで現存する。これら三者を厳密に、そしてクールに対比して研究すれば、「原始経典の史料性格」つまり、釈迦の思想をうかがう上で、原始経典はどのくらい信用できるか、つまり、その信憑性を検査し、検証できるのだ。
 仏教徒にとって、原始経典はもとより、大乗・小乗の諸経典は、すべて「神聖なる信仰の対象」だった。だから、右のような見地をとることすら「不敬」、そのように考えられていたであろう。無理からぬ ことだ。
 だが、考えてみてほしい。あの、どの仏教系大学図書館にも常置されている大蔵経。あれは、人間の叡知の生み出した、すばらしい宝庫だ。人間の辿りきたった、精神の発達、深化の過程、それを知るべき「無二の史料」だ。これを前に、好奇心の燃えあがらぬ 人あれば、それは外形は人にして、内面は人の面目を失った存在、そのようにさえ評されても、止むをえまい。親鸞研究は、その一大探求のための絶好の「鍵」を提供してくれている。
 率直にいおう。わたしが『親鸞思想--その史料批判』(昭和五十年、冨山書房刊)を世に問うてより、すでに十余年。そこには、さまざまの新説・異説が提起されている。しかるに、若い親鸞研究者(五十代以降の方々)からの反応があまりにも乏しいのである。先掲の二葉さんは、人も知る斯学の泰斗。また最近『聖徳太子論争』(平成元年十月、東京、新泉社)に応じて下さった家永三郎さんは、すでに喜寿に近い。   論争は、もとより“けんか”ではない。親鸞の愛した「真実」、あの真実に至るための一方便にすぎぬ 。その人が待たれる。

万代を驚倒させる一言

 『歎異抄』は、すさまじい本だ。九十歳まで生きて己が思想を円熟せしめ抜いた宗教者の、なまなましい息吹きを伝えている。歴史に「もし……」は禁物だけれど、それを承知でいわせてもらうなら、「九十歳のイエス」や「九十歳の釈迦」、また「九十歳の日蓮」や「九十歳の道元」の言葉に“遭う”ことができたなら。それは、いかほどの、人類にとっての至宝であろう。しかし、それは永遠に、人類の手には、失われている。--それが親鸞には、あるのだ。

「自然のことはりにあひかなはば、仏恩をもしり、また師の恩をもしるべきなりと云々」

「仏恩報謝」のテーマは、真宗教学の基本。そういっても過言ではないであろう。ところが、それは「師恩」と同じく、「自然のことはり」から流れ出る、ほとばしり。あえていうなれば、「従」の位 置においた文脈で語られている。「主」は、もちろん、「自然のことはり」だ。これは何か。親鸞の文献に詳しい人なら、誰でも思い浮かべる「聞き書き」がある。「自然法爾文書」--正嘉二年(一二五八)親鸞八十六歳のとき、門弟の顕智によるものだ。そこには、万代を驚倒させる一言がのべられている。

--「みだ仏は、自然のやうをしらせむれうなり」
 
「れう」とは、“手段”“材料”の意。「料理」の「料」も、それである。 「阿弥陀仏は、手段である。材料なのだ」これが、九十歳の親鸞の語ったところ。若かりし日の彼では、このようには語らなかったであろう。もちろん、その根本思想に変わりはあるまいけれど。

深い真理に目覚める暁

 専修念仏、それは“念仏のみを尊し”とする立場であった。否、それは今日まで変わりはないであろう。それは、素晴らしい宗教思想だ。日蓮は、『法華経』を根本としてその“専修”の道を鼓吹した。そのようにも見なしうるであろう。
 けれども、このような「
偏依」の方法論は、えてして“我が仏たっとし”の独善性を生みやすい。これも、歴史の証言するところ。たとえば、キリスト教、たとえば、マホメット教。いずれも「偏依」、いずれも「専修」、その道に自家の道標を打ち立てたもの、といえよう。
 けれども、九十歳の親鸞はいう。それは「れう」である、と。人類にはやがて、親鸞の語った真理の深さに目覚める暁が来るであろう。
 今年八月末、熊本大学の嵯峨忠さんからお便りをいただいた。医学部二年のAさん(女子)のリポート(コピー)が同封されていた。わたしの『親鸞』(清水書院、新刊)に対する、若々しく鋭い感想だった。本人の了承をえて送ってこられたのである。『歎異抄』は、永遠の命を、今日もなお生きつづけているようである。

(真宗大谷派難波別院『南御堂』第三二七号より転載、一九八九年十一月発行)


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