2015年 2月10日

古田史学会報

126号

1,平成27年、
賀詞交換会のご報告
   古賀達也

年頭のご挨拶 
  代表 水野孝夫

2,犬(火)を跨ぐ
   青木英利

3,「室見川銘板」の意味
   出野正

4,盗用された
   任那救援の戦い
敏達・崇峻・推古紀の真実(下)
   正木裕

5,先代旧事本紀の編纂者
   西村秀己

6,四天王寺と天王寺
   服部静尚

7,盗用された
「仁王経・金光明経」講説
   正木裕

8,倭国(九州王朝)
  遺産一〇選(上)
   古賀達也

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八王子セミナー報告 -- 実況同時記録 古賀達也(会報125号)

学問は実証よりも論証を重んじる 古賀達也(会報127号)

年頭のご挨拶 代表 水野孝夫


平成27年、賀詞交換会のご報告

京都市 古賀達也

 一月十日、古田先生とご子息の光河(こうが)さんをI‐siteなんばにお迎えして、古田史学の会・新年賀詞交換会が開催されました。当日は、竹村順弘さん(古田史学の会・全国世話人)と服部静尚さん(『古代に真実を求めて』編集責任者)にご自宅までクルマで古田先生を送迎していただきました。
 杉本三郎さん(古田史学の会・会計監査)の司会で賀詞交換会は始まりました。冒頭に水野代表から新年の挨拶があり、「古田史学の会・東海」の竹内強会長(古田史学の会・全国世話人)、中国曲阜市から一時帰国されている青木英利さん(古田史学の会・会員)からご挨拶をいただきました。その後、服部静尚さんから『古代に真実を求めて』の発刊予定や特集テーマについての報告がありました。
 以下、古田先生の講演の概要を報告します。(文責=古賀達也)

【古田先生講演概要】

九州年号はリアルである

 本日はこのような場を作っていただき、ありがとうございます。昨年十一月に長野県の松本深志高校で講演したばかりなので、それと同じ内容になるのかと思っておりましたが、新たなテーマが続出しましたので、それをお話ししたいと思います。
 まず九州年号の問題ですが、『二中歴』に載っている九州年号が画期的であると思っています。『二中歴』では九州年号が七〇〇年に終わり、七〇一年に文武天皇の年号(大宝)に続いていますが、この七〇一年こそ、「評」が終わり「郡」に変わった年であり、これは偶然の一致ではなく、『二中歴』が示した内容が真実であり、九州年号は歴史事実である。従って、九州年号を制定した九州王朝もリアルである。これは確定論証である。九州王朝が存在しなかったことにしている『古事記』『日本書紀』こそ間違っていたことになる。

 

神籠石山城と阿蘇山

 神籠石についても、山城説が発掘調査により明らかとなっており、単なる霊域てはなく軍事施設である。堀や木柵が発見されており、山城であることは間違いない。その分布も福岡県・佐賀県などが中心であり、近畿が中心ではない。この神籠石山城の分布の中心に権力者がいたことになる。この防衛施設が『日本書紀』には全く書かれていない。書き忘れたのではなく、実在した九州王朝をなかったことにする近畿天皇家側の御用史書である。
 次のテーマは阿蘇山である。『隋書』?国伝には「阿蘇山あり」と書かれている。この七世紀前半の時代が近畿天皇家中心であれば、近畿・奈良県までの道程が書かれていなければならない。ところが、瀬戸内海領域や、あるいは日本海岸からのコースなど全く書かれていない。一切ない。うっかりミスで書かれていないとするのは、歴史学の方法ではない。ということは、『隋書』?国伝に記された権力者は近畿中心ではなく、筑紫・山口県中心の権力者である。中国の西安から見て、阿蘇山があり、その手前に神籠石がある。これを『隋書』?国伝は描写している。これを否定するのは勝手だが、それは御用史学である。
 有名な「日出ずる処の天子」は近畿の推古天皇(女性)でも聖徳太子(皇子)でもなく、九州王朝の多利思北孤(男性・天子)である。『隋書』は同時代の史料に基づいて編纂された史書である。ところが、「日出ずる処の天子」を近畿天皇家の人物として教科書は作られており、今日まで謝りもせずに間違ったままである。

 

『隋書』の「犬」

 『隋書』イ妥国伝の記事「婦、夫の家に入るや、必ず先ず犬(火)を跨ぎ、乃ち夫と相見ゆ。」と岩波文庫では原文の「犬」に「(火)」を付記している。確かに日本には「火」をまたぐ風習があったとされているが、「犬」も古くから人間とのつきあいがあり、『隋書』の原文通り「犬」でもよいのではないか。旧石器時代から犬と人間は共存してきたのであり、「犬をまたぐ」とは、犬が新しい仲間と認めたという「儀式」ではないか。
 インターネットに面白い記事がありました。その「犬神の由来」という記事によると、犬を埋めて首だけ出しておき、その後に犬の首を切るというような嫌な話しです。「犬神」という姓がありますが、姓にするほどですから、「犬神」とはそんな嫌らしい説話から付けられたものではなく、犬との共存共栄の歴史から、神聖視されたのではないか。
 昨日気づいたことだが、『三国志』に狗奴国とありますが、狗奴国の「狗」は犬のことであり、神聖な種族だから狗奴国という国名が付けられたのではないか。倭人伝にある対海国・一大国の長官が「卑狗」とされており、この「狗」も神聖な犬が背景にあるのではないか。
 さらに志賀島の金印の「委奴国」も訓みは「いぬ国」であり、「犬(いぬ)」と関係するのではないか。漢が「いぬ」を神聖視した集団に与えたのが「漢委奴国王」印ではなかったか。というようなところまで話しが進んできました。昨日考えた話しなので断言はしませんが、そういうテーマに遭遇しました。

 

国家と宗教の「権利」

 最後に申し上げたいテーマがあります。一つは『東日流外三郡誌』という『古事記』『日本書紀』に匹敵する本がありますが、これの寛政原本がまだ「発掘」されていませんので、公的な組織(五所川原市など)で調査「発掘」する必要がある。そのための国立の歴史研究所を作るべきである。本来の持ち主である安倍家(安倍総理)で調査保管してほしい。
 秋田孝季が言っているように、この世の中のものには始まりがあります。宗教も国家も始まりがあり、現在に至っている。宗教や国家に「人間を殺す権限」を与えたのが諸悪の根元である。人間が国家・宗教を作ったのであり、その国家・宗教にばかばかしいほどの権限を与えている。そんな権限は断固拒否すべきである。この問題が現代の最大の問題である。人間が作った国家・宗教に人間を殺す権利を与えてはならない。
 さらに言えば、神と悪魔は同一体ではないか。前が神で後ろが悪魔であり、同一体ではないか。そのような虚像で引っ張り回される時代はもう過ぎたのではないか。


ギリシア神話とトロイ神話

 補足としてギリシアの話しをしておきたい。ギリシア神話をわれわれは知っているが、よく見てみると不思議なことがあります。アポロの神はオリンポスの山に帰るとされていますが、オリンポスはギリシアの北側にあり、南のアテネから北へ太陽神アポロが帰るというのはおかしい。アポロはオリンポスの真東にあるトルコのトロイから出発したのではないか。そうであれば、ギリシア神話ではなくトロイ神話となる。
 『古事記』『日本書紀』が九州王朝神話を取り込んで自らの神話としてすり替えたのと同様に、ギリシア神話もトロイ神話の盗作ではないか。そのトロイ神話をわれわれはギリシア神話として覚えさせられている。滅ぼされた古い王朝の歴史や神話を取り込んで利用するという手法が日本でもギリシアでも使われているのである。
 バイブル冒頭の長寿年齢記事も異なる暦を使用していた古い文明の説話を盗用した痕跡である。
 こうしたことを調べるためにも、ギリシアを訪問して史料調査を行いたい。わたしは反キリスト教でも反イスラム教でもない。イエスもマホメットも親鸞もすばらしい人物であり、わたしは尊敬しているが、尊敬されている人物に対する余計な侮辱が、はたして「表現の自由」なのか。襲撃されたパリの新聞社のことをよく知らないが、わたしは疑問に感じる。
 わたしはもう永くはない。後はみなさんによろしくお願いしたい。(拍手)

 

【質疑応答】

(問)日本の縄文宗教には「地獄の思想」はないと何かの本で読んだことがあるが、本当でしょうか。
(古田)親鸞の思想には地獄があります。親鸞はその地獄思想をさらに高い立場から乗り越えている。これがすばらしい。「地獄思想」に騙されないということが大事ではないか。

(問)仏教以前の宗教には「地獄の思想」がないとされているが、どうか。
(古田)仏教以前としては『祝詞』があり、そこには味方が犯した罪や敵の罪を「水に流し」て乗り越えるという思想が記されている。原爆投下というアメリカの戦争犯罪を忘れるのではなく、罪を明確に認めた上でそれを乗り越える思想が大切である。

 

 講演終了後に、古田先生と光河さんと共に参加者全員で記念写真を撮り、閉会となりました。先生と光河さんを竹村さんがご自宅まで送り、残った希望者により懇親会を開催しました。当日は今宮戎のお祭り(十日戎)で、会場周辺は夜遅くまで賑やかでした。今年も「古田史学の会」にとって良い一年となりそうです。


年頭のご挨拶

     代表 水野孝夫

 会員の皆様、明けましておめでとうございます。
 日頃は会運営にご協力いただきありがとうございます。
 皆様は今年も新しい研究を進められて、その結果を会誌や会報にご投稿くださるようお願いいたします。
 古田先生は昨夏に米寿を迎えられましたが、直後に奥様を亡くされ、日常生活に問題を生じられましたが、ご子息の光河さんが同居されるようになって、「考える故に、われあり」。頭脳は冴えていて新しい著作に励んでおられ、その一部は、本年一月十日の当会・新年賀詞交換会でもご披露いただきました。
 また四月はじめのギリシア旅行も楽しみにしておられます。

 当会関西のハイキングに、わたしは努力して参加していますが、年齢のため、あまり元気良くは歩けなくなりました。十年前には一日に二万歩を超えても平気だったのが、いまや杖を突きながら、一日に五千歩が限界?、山登り等は麓で休み、行程の一部はカット。参加されるメンバーの方々には、ご迷惑のかけどおしですが、その代わりに考える時間が増えたせいか、新しい疑問を見つけることが、すこしはうまくなったか?と思います。
 ただ、疲労回復にも時間がかかるため、調査などが進まず、疑問ばかりが増えてゆく傾向にあります。会代表の地位を退くべき時期だと思うこのころです。


 これは会報の公開です。新古代学の扉 インターネット事務局 E-mailはここから


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