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古田武彦Video casting講演 皇(すめろぎ)は神にし座せば
(大王は神にし座せば雨雲の雷岳・・・『万葉集』235・241番)の解説

これも天皇家ではない 参照


古田史学論集 第5集『古代に真実を求めて』(明石書店)
講演記録 二〇〇二年 一月 十九日 大阪市北市民教養ルーム

「神と人麻呂の運命」 部分

古田武彦

一、姥捨伝説と丹那婆伝説
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二、州柔(つぬ)の歌

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 以上、これで人麻呂の歌が、従来の万葉で理解されている人麻呂では、まったく頓珍漢(とんちんかん)である。そのことはわたしの二つの本で、くりかえし述べました。(『古代史の十字路 万葉批判』・『壬申大乱』ともに東洋書林) 簡単に縮めて言いますと、

万葉集二百三十五番
 皇者 神二四座者 天雲之 雷之上尓 廬為流鴨
 皇は 神にし座せば 天雲の 雷の上に 廬せるかも
 すめろぎは かみにしませば あまぐもの いかずちの うえに いほり せるかも
(おほきみは)

 あまりにも有名な歌です。わたしも戦争中は耳にタコができるぐらい聞かされたあの歌。天皇が現神(あらひとがみ)であるなによりの証拠として憲法の解説にあげられた歌です。あの伊藤博文の『憲法義解』(岩波書店、伊藤博文著 宮沢俊義校註)の中で、「天皇ハ神聖ニシテ冒スベカラズ。」の根拠とされ載せられていました。わたしも戦争中にきいて、日本精神を一語で表す歌であるとして喧伝され、わたしもそのように想っていた。しかし歴史を“足にて”知らなかった。飛鳥に行ってびっくりした。現地の雷丘(いかづちのおか)へ行ってびっくりした。高さが十数メートルぐらいの小さい丘です。上がるのに四・五分もかからない。だれでも飛鳥に行った人はこの丘にのぼってみたり、土地の人も飛鳥の眺めを楽しんだとおもうけれどもあそこへ上がってみたからと言って、それが天皇が生神様であらせられる証拠であるとは、なにをオベンチャラ言っているのか。しかも「天雲の 雷の上に」と書かれてあるが、あんな十数メートルの丘に雨雲がかかるわけがない。大嘘の歌。現地に行ってみたら嘘だらけ。現地に行かないで歌を味わっているからなんとか格好がついている。各地の高等学校でも生徒は教わってそんなものかと思っているが、現地へ行ったら大嘘。
 ところがこれを大和盆地で見る限りはそうですが、これをいま九州雷山(らいさん)、博多の西隣の前原(まえばる)、それと佐賀県との間の福岡県背振(せぶり)山脈。その第二峯の雷山(らいさん)。そこに行くと雷(いかずち)神社がある。上社、中社、下社とあり、上社のことを「天の宮(あまのみや)」、中社のことを「雲の宮(くものみや)」と呼ばれている。そのことは千如寺というお寺の、江戸時代の地図にも残っている。雷山(らいさん)の高さは九五五メートルだから、三方が博多湾、玄界灘、唐津湾に囲まれていて、いつも雨雲が立ちこめている。わたしも何回も上がりましたが、一日中まったく晴れていたのは一回だけです。いつも雲が立ちこめています。ですから雷山は実際経験から言っても、「天雲の 雷の上に」という通りです。現地伝承でも、天の宮・雲の宮と言っている。それをバックにしての「天雲の 雷の上に」という言葉は、ひじょうに分かりやすい。それに雷山は倭国の代々の王者、このわたしがいう九州王朝の代々の墓地なのです。それを社(やしろ)のかたちで祭っている。だから「皇」は「おほきみ」と読むのではなくて、「すめろぎ」と読むべきです。
 神道では、生きているときは人間で、死んだら神様になる。仏教では生きているときは人間で、死んだら仏さんになる。わたしはよく言うのですが、ホント生きているときは女遊びやばくちで、さんざん家族や人を困らした人間でも、バッタリ死んだら「○○命」と神様になる。その日から神様になる。そういう日本ですから、代々の王者も死んで神様になっておられる。それで天雲のかかる雷の上に廬(いほり)をしていらっしゃる。実際には雷山にある社(やしろ)を、廬(いほり)と見立てています。
 なぜ社(やしろ)を廬(いほり)と見立てたのか。白村江の戦いで四回戦い四回負けて、家族は夫や子供を失い、民の生活はさんさんたるものになった。しかも唐の軍隊は、くりかえし駐留というか占領に来ている。民の廬(いほり)は、荒れ果ててしまった。しかし九州王朝代々の方々は、死んで神様になっておられるので(やしろ)を廬(いほり)として、平穏にお過ごしになられている。しかし民の廬(いほり)は、荒れ果ててしまいました。すばらしい歌ですね。要するに、現在のリーダーが、白村江の戦いに出ていって戦った。そのため民の廬(いほり)は、荒れ果ててしまった。しかしあなたがたはそういう馬鹿なことをしなかったから、平穏にお過ごしになられています。ものすごい歌です。五・七・五の中に、あれだけの歴史や思想をふくめられるのか。

それともう一つ、天武の子供、長皇子を歌ったとされる歌。

万葉集241
皇者 神尓介之座者 真木乃立 荒山中尓 海成可聞
皇は 神にし座せば 真木の立つ 荒山中に 海鳴りせすかも(海を成すかも)
すめろぎは かみにしませば まきのたつ あらやまなかに うみなりせすかも
(おほきみは) 

 この歌の最後の部分は従来「海を成すかも」と読まれてきた。長皇子が、大和盆地に池をお作りになった。それを人麻呂がおべっかを言って、「池ではございません。海をお造りになった。」と表現した。天皇は生き神様である証拠である。しかも皇子に対して。こんなことを言うのも馬鹿だが、言われて喜んでいるのも馬鹿である。大和盆地の山の中にある池は小さな池に決まっている。(通説は香具山のふもとにある埴安の池を比定。)琵琶湖のような大きな池を造ったはずもない。そういうオベンチャラを言った。空前絶後のオベンチャラ詩人である。そのように大和では言える。
 しかし、それを同じく九州背振山脈の雷山に持ってゆけば映えてくる。同じく「皇(スメロギ)は 神にし座せば」は代々の王者は死んで、神様になって居らしゃる。「真木乃立」の「真木」、ここでは木の美称です。特定の木を言う場合もありますが。「荒山中」というのは、ここでも「荒(アラ)」が出てきています。今は立ち入って言いませんが、山の中です。次は原文は「海成」ですが、これは「海を成すかも」ではなくて、「海成=海鳴り」です。福永晋三さんという方が提案され、わたしはすぐ賛成した。わたしの両親は高知県の出身ですから、海鳴りのことはいつも聞かされていた。海鳴りは大事だ。津波を初めとする大自然の変動の予兆だ。海鳴りの音で、どのくらいの津波がくるか分かる。どこへ逃げるか、どうするかが決められている。そのようなことを、両親にいつも言われていた。人麻呂は雷山で海鳴りを聞いた。三方が海ですから。客観的には人麻呂は雷山で、海鳴を聞いたにすぎない。しかし海鳴が、津波をはじめとする大自然の兆候であるというのは現代人の認識に過ぎない。しかし古代人はそうではない。その雷山には九州王朝の代々の王者が葬られている。その死者の声が「海鳴」として聞こえてくる。この世の破滅。九州王朝の破滅の声が「海鳴」として聞こえてくる。
 ここまで凄い歌を、世界中で見たことがない。ゲーテをはじめ、わたしが見た範囲内の詩人では、これだけすごい王朝に対する批判、民衆の声を含んだするどさを持った歌をみたことはない。「海成可聞=海鳴りせすかも」、これは白村江の戦い以後の、民衆の苦しんでいる姿を背景にして歌っている。

 そういうことでほんらいの位置から全部大和に持ってきて、天武天皇や持統天皇の息子の歌につくり換えていったので、じつにくだらん歌にさせられてしまった。それだけではなくて、明治以後は、明治憲法で「天皇ハ神聖ニシテ冒スベカラズ。」というために、証拠の歌にさせられてしまった。それで兵士たちは戦場に行かされた。これはたんなる文学の問題ですと言うかもしれないが、決してたんなる文学の問題ではない。

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古田武彦Video casting講演
皇(すめろぎ)は神にし座せば

制作 古田史学の会
編集 横田幸男
古田武彦講演
二〇〇二年 一月 十九日
大阪市北市民教養ルーム
『神と人麻呂の運命』
二、州柔(つぬ)の歌 部分


参照
『古代史の十字路 万葉批判』
古田武彦 東洋書林

『壬申大乱』古田武彦 東洋書林

岩波文庫 『憲法義解
伊藤博文著 宮沢俊義校註

毎日新聞 朝刊13版
2005年11月22日


 これは古田武彦Video casting講演 皇(すめろぎ)は神にし座せば(大王は神にし座せば雨雲の雷岳・・・『万葉集』235・241番)の解説です。

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は講演にはありますが講演記録にはありません。また講演記録では、整理して表現されています。文字と音声は特性が違うために一致しておりません。史料批判には不適です。


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