古代は輝いていた


2014年 6月刊行 古田武彦・古代史コレクション21

古代は輝いていた III -- 法隆寺の中の九州王朝

ミネルヴァ書房

古田武彦

〔資料〕

  一 九州年号

I 寛文十年 久留米藩『社方開基』より

 (一)貴楽弐年(欽明天王之御宇)
    若宮大菩薩建立 ーー 御井郡東鰺坂両村
 (二)白鳳五年
    薗鑰大明神開基 ーー 御井郡宗崎村
 (三)智(知)僧二年十一月廿三日
   荒五郎大明神(龍宮神、出現) ーー 筑後国山本郡蜷川村
 (四)白鳳年中(天武天王御宇)
   薬師堂建立(七堂伽藍) ーー 山本郡柳坂村
 (五)白鳳二癸酉年
   清水寺観世音建立(行基御作) ーー 竹野郡樋口村
     (当年迄九百九拾九年 ーー 寛文拾年)
 (六)明安(要か)戊辰年(欽明天皇御宇)
   御勢大霊石大明神再興 ーー 御原郡大保村
 (七)白鳳元年
     若宮八幡宮建立 ーー 生葉郡宗廟
 (八)白鳳元年
     熊野権現開元 ーー 上妻郡宮野村
 (九)白鳳元年
     上妻郡宗廟開元建立 ーー 上妻郡馬場村
(昭和五十六年十一月三十日発行、久留米市野中町久留米市民図書館内久留米郷土研究会。解読 ーー 古賀正美・編校訂 ーー 古賀幸雄。田主丸町役易職員高山利之氏の御教示によって、まとむ。)

  『肥後国誌』(平野雅曠氏による)

 (一)善記四年十一月四日(継体帝)
    目一箇男まひとつのを神社、或記一目ひとつめ神社云々。 ーー 山鹿郡中村手永、久原村
 (二)貴楽二癸酉年(欽明天皇)
    阿蘇山ニ烟立ツ(大神山上ニ火焔*)
     焔*は、焔の異体字。JIS第3水準ユニコード7130

 (三)鏡常三年(敏達天皇)
    山鹿市小峯山日羅寺。百済国日羅大士来朝、当国ニ七伽藍ヲ建立スル其一。

 (四)吉貴年中(推古帝)
    常楽寺飯田山大聖院。上益城郡鯰手永、小池村。

 (五)吉貴元年(推古帝)
    福成寺亀甲山。下益城郡砥用手永、甲佐平村。

 (六)白鳳十八年(天武帝)
    飛尾大明神社。玉名郡内田手永、下津原村(東郷荘)
   《北島雪山『国郡一統志』、国誌以前》

 (七)白鳳九年
    八代妙見宮、白木妙見杜。

 (八)白鳳十二年(天智帝)
    子一領大明神

 (九)朱鳥二年
    阿蘇南郷祇園杜


   III 『肥前叢書』(右に同じ)

 (一)勝照二年(用明天皇)
    勅シテ、逆臣守屋ノ子、辰孤連ヲ松浦ニ配流ス。〔『肥前旧事』巻一、南里店易(後名有鄰)編。糸山貞幹、増訂〕

 (二)勝照二年丁未(用明天皇)
    丁未ハ即位ノ二年、聖徳太子、誅守屋畢、其余党宥免寛死刑、即定遠流・・・・。〔『遊方名所略』〕(丁未は三年)

 (三)鏡帝(常か)二年癸卯(敏達天皇十二年)
   聖徳太子十一歳ノ時。 〔『日本略記』〕

 (四)知僧元年甲申九月二十八日の夜(欽明天皇)
    本庄妙見山淀姫大明神〔『肥前古跡縁起』。寛文巳年霜月廿五日、大木惣右衛門の著。巳年は寛文五年 ーー 一六六五〕(甲申年は師安元年か)

 (五)知僧三年乙酉九月廿九日(欽明天皇)
    與賀淀姫大明神。〔同右〕(乙酉年は知僧元年か)
     〈『太宰管内志』〉(伊藤常足著)

 (六)白鳳壬申春正月三日
    福地神杜(『豊鐘善鳴録』五巻)、豊前国田川郡上野村、忽ち郡児の来りて山麓に優遊するを見る。(壬申は十一年).

 (七)白鳳元壬申秋
    宗像八幡杜(『宗像神杜宝鏡記』)、豊前国上毛郡、郡主横武行次、神託有り。(元年は辛酉年か)

 (八)白鳳二年二月八日(天武天皇)
    高良玉垂神杜(『二十二社註式』)(『神名式』頭注)。筑後国、託宣に依り勧請。

 (九)白鳳十三年二月八日
    高良玉垂神杜(『高良山高隆寺縁起』)、筑後国、国書生清原真人道理視聴進。

 (一〇)朱鳥二年五月乙酉(持統天皇紀)
    隼人大隅阿多魁帥、各、己が衆を領す。

 (一一)正和二年正月九日
    宗像神杜ノ事書の条々。帝見寺(宗像郡怒山村にあり)(花園天皇の「正和」の可能性もあり。)


 IV 山口県内の文献に見える逸年号

(一九八三年十一月十七日作成、二十二日増補、 ーー下関市の前田博司による。)

市民の古代第6集(1984年)市民の古代研究会より

 

    二 丸隈山古墳出土の小仏像

 観音掘出候次第従御上御尋ニ付左之通口上書指出候事

                              (寛政八年再写本。解読は脇田修氏による)

 周船寺村新蔵御夢想之趣御尋付申上
一寛永十六年四月十二日夜二ッ子程之観音新蔵新蔵と御起し被成候丸隈山居申候間急き掘出し候得と御申候御夢想之内 北方より掘候得と御申候間鍬を持三鍬打申候得者曰米出申候我等母ゆ里みい二つにてすくひ取候其時口少し開申候時内這入見候ハ観音其米にて 御佛供を焼上候得と御申付米壱升五合程焼申則御佛飯上候得者 新蔵不思議なるもの掘申候とて地家之若者共参会弐間三間之御堂にて御座候をかや道具を盗申時我等其時いうやうハ雨降中候、観音御濡可申申候得者の時観音御申候者大事なく後ミなミな戻し候と御申候内夢覚申候
一四月十三日夜御夢想急起(き)掘出し申候得被仰候を畏候御請仕候内夢さめ申候
一又其後八月廿日夜御夢想観音御申被成候者新蔵なしほりママ不申候哉急掘候得と被仰候条其段畏候と御請申候得者夢覚申候
一同廿一日之朝鍬立仕召置地家中庄屋年寄申聞せ同廿七日口ひらき申候
一此山之内廣長弐間横七尺高壱間但口北向にて御座候
一中櫃長七尺横五尺其内中 御座候内チニ老シャレかうへ一つ御座候
一鏡大小三面御座候
一刀矢申候くされ形斗御座候
一其上に仮屋をかけ申事長三間横八尺口横家長三間横壱間半塩屋作り筈(苦)葺いたし置候
一十月十八日夜御夢想石ノ櫃御座候観音之由被仰候急掘出し候得御申被成候同廿一日之朝弐寸程之佛掘出申候
   右之御夢想之処相[之/麦](違)不申上候
一彼観音六観音之内ニ而何観音ニ而候哉と御尋候何観音とも知不申候事
一毎月御縁日午用候哉十八日用申候哉御尋候十八日用ひ候事
一右之観音御立候所丸隈山之内御立御座候事
一夲用候観音志ゆ里頭ヘヲ用ひ申候已上

                           恰土郡周船寺村
  寛永十七年正月
                                     新蔵
   吉祥院
     永 遍 様
   当時御郡代
     山部久左衛門様

  御夢想之覚(右に同じ)

一寛永拾六年四月十二日の夜半過比夢の内に新蔵と呼ハり給ふによりあつと答へて阿たりを見候得者長(た)ヶ二才斗の童程なる観音立せ給ひて某に宣やう我既丸隈山に籠里居候事年久し汝早く我を掘出し信仰いたし候得と宣ふにより畏と申て則観音の御跡つき丸隈山参候得我籠りたる所爰なり北方より掘候得と宣ふにより御告の方より三鍬ほと掘申候得者白米多出候我等母ゆ里みいてすくい取候其時岩穴の口少し阿き申付内入見申候得観音の御声にて唯今掘出し候白米にて御佛供を焼備候得と宣ふにより米壱升五合ほと焼御佛飯を上申候然處に新蔵不思議成ものを掘申とて村中の者とも参内に入候彼所に二間に三間程なる茅葺の御堂有之候こぼち我先にて奪取候夢中に某申候観音雨露に濡させたまふへく候条取申間舗と色々制し候其時観音宣ふやう少も不苦候後ニハ皆返し可申候儘制し中間舗よし宣ふにより畏と申内に夢覚申候
一翌十三日夜(カ)り臥居候得前の夜の観音来らせ給ひて夜前堅く申含候ことく弥我を掘申候得宣ふ間畏申候頓掘可申御請申候得帰りたまふと存候内に夢覚申候両夜同し夢を見候事*(こと)不思議成事存なからいかゝいたし候ハんやと兎哉角と存候内夏もやうやく過申候
     事*(こと)は、事の異体字。JIS第4水準ユニコード355D
一同年八月廿日の夜いつもの如く臥居候得右之観音来らせ給ひて去比両夜まて告候得とも掘不申候何とて掘り不申候哉はやく掘候得と頻に宣ふにより畏と御請申上候内夢覚申候
一一度ならす二度ならす三度まて阿らたなる御告により明廿一日の朝丸隈山に参夢中に教へ給ふ所鍬立いたし召置庄屋年老其外地家中に申聞同廿七日に掘申候得ハ長弐間横七尺高サ壱間斗成岩穴有之候口北向ニ而
一右之内より石櫃壱つ掘出候長七尺横五尺中に隔有之候内壱尺斗之志やれかうべ一つ有之候
一鏡大小三面刀矢根のやう成もの腐形斗有之候
一右岩穴の上に長三間横壱間其前長三間横壱間半笘(苫)葺にて塩屋作りの仮家を建置候
一同年十月十八日の夜の御夢想石櫃の脇方に観音御尊形可右之候条掘候得との御事付同廿一日之朝彼石櫃脇掘見候得御長弐寸程成金佛一躰御座なされ候則右の御堂に安置いたし候処世上に隠なく貴賎群集科(斜カ)ならす其外様々の寄特とも有之候得共一々書付置不及候
 右之趣従 御公儀吉祥院永遍山部久左衛門殿を以御尋被為成付一つ書ニ而言上仕候慶安二年五月太守公忠之様より三間四面之御堂我等居宅弐間五間弐間弐間之居宅を御作らせ被為下候
  右之通御霊*(異)夢よりて掘出したる観世音なれは我等か子孫たらん者壱人も阿らんにおゐてハ
  右之観音志やれかうべを能く可信もの也
     霊*は、異体字。JIS第4水準ユニコード3691

   干時
     慶安二年九月吉日      恰土郡周船寺村
                                 新蔵


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