古田武彦著作集 親鸞・思想史研究編1『親鸞 ーー人と思想』(明石書店)にも収録
明治体制における信教の自由 古田武彦(『古代に真実を求めて』第1集)(『神の運命』 1)へ

『神の運命』目次 1(宗教の壁と人間の未来 -- 序説) 2-I 2-II 2-III 2-IV  へ


『神の運命』(1996年6月30日発行 明石書店)

近代法の論理と宗教の運命

III

“信教の自由”の批判的考察

古 田 武 彦

III 「信教の自由」への戦闘的無神論の批判

  無神論は宗教の止揚によって、共産主義は私有財産の止揚によって、自己と媒介された人間主義である(マルクス『へーゲルの弁証法と哲学一般の批判』)。

 

      1

 「ドイツにとって宗教の批判は本質的におわっている。そして宗教の批判こそいっさいの批判の前提なのである」
 これはマルクスの「へーゲル法哲学批判」の冒頭の句です。宗教批判が「いっさいの批判」の前提だという言葉は、日本のマルクシストにとって十分の重味をもって把握せられ得ない言葉なのではないでしょうか。むしろ彼等にとっては「宗教」など真面目にあつかう気もしないくらい、その無意味さが当然のことで、「いっさいの批判」の中の最もたやすい部分であり、「いっさいの批判」の後には当然けしとんでしまうもののように感ぜられるのではないでしょうか。
 しかし、マルクスにとっては、宗教批判の前提に「いっさいの批判」があるのではなく、「いっさいの批判」の前提に宗教批判があったのです(無論「前提」とは単に時間的に論理的先行するという意味にとどまらず、後者の基盤をなしているという認識を含んでいます)。
 しかし今までのこの論究の考察を経て来た私たちにはヨーロッパがいかに執拗にキリスト教単性社会であったか、そして今もありつづけているかという認識、そしてそういう単性社会の内面(神の支配する良心)がいかに苛酷な宗教裁判、魔女裁判の執拗な粛清で明瞭(クリアー)に純粋(ピュア)にされて来たかという認識からして、このマルクスの表現は十分の重みで受けとられることができるでしょう。
 つまり、ここで言う「宗教」は、中世ローマ・カトリックの宗教であり、また宗教改革後の分裂が「信教の自由」という名の宗派の妥協によって縫合されて来た、ヨーロッパ近世 ーー近代キリスト教単性社会の宗教なのです。

「宗教上の不幸は、一つには実際の不幸のあらわれであり、一つには実際の不幸にたいする抗議である。宗教はなやんでいる者のため息であり、また心ない世界の心情であるとともに精神のない状態の精神である。それは、民衆のアヘンである。・・・・だから宗教の批判はいずれは、宗教を後光にいただく苦しいこの世の批判にならずにはいられないものである。・・・・だから、天上への批判は地上への批判にかわり、宗教への批判は法律への批判に、神学への批判は政治への批判に、かわるのである。」
(日高晋訳「へーゲル法哲学批判」『へーゲル批判』マルクス・エンゲルス選集第1巻、新潮社、三三〜三四頁)

 この格調高い文章が冒頭の句の後にあらわれるのですが、この有名な宗教阿片説 ーー天上批判の根本をなすのは、「反宗教的批判の根本は、人間が宗教をつくるのであって、宗教が人間をつくるのではない、ということである。」とされるように、「人間」という概念です。この文章は一段と華麗なイメージを展開させます。
 「批判は、鎖についていた空想的な花をむしりとったが、それは、人間が幻想もない鎖を背負うようにというためでなく、むしろ、人間が鎖をふりすて、いきいきとした花をつみとるようにというためである。」(同右)

 この表現はあきらかにギリシャのプロメテウス神話から来ています。天上のゼウスヘの批判によって鎖にしばられたプロメテウスです。事実マルクスはこの文章のあとの方にも、「ギリシャの神々は、アイスキュロスの『しばられたプロメテウス』の中で傷ついてすでに悲劇的に死んだ」として引用しているのです。
  (補)このアイスキュロスの悲劇の中で、プロメテウスは大地(女神テミス)の子として描かれています。
  第一に至高神ゼウスの没落の日を知っていること、第二に人間に知慧の火を与えたこと、第三に人間たちに自分の末期を待ち設けるのをやめさせてやっ たこと、第四に(人間の)目に見えぬ希望を与えてやったこと、によってゼウスの怒りを買い、その配下たる「権力暴力」の神によって、スキュティアの荒野の岩の上に鎖でつながれるわけです。しかし不屈の精神を以て神々のおどしに恐怖せず、やがてまきおこる天地の震動、崩壊の中に奈落に沈んでゆくという壮大な悲劇です。

 マルクスが「しっかりした、よく手を入れた大地の上に立ち、あらゆる自然の力を呼吸している、現実的で肉体的な人間」(城塚登訳「へーゲルの弁証法と哲学一般の批判」『へーゲル批判』マルクス・エンゲルス選集第1巻、新潮社、一五頁)として「真の人間」を描くとき、中世 ーー 近代のヨーロッパ単性社会に毒されざる、ギリシャ文明に表われた「いきいきと地上的な人間像」を念頭に置いていたことは明らかです。その点、まさにルネサンスよりドイツのシュトゥルム・ウント・ドゥランクに至る、ギリシャを理想とする近代的人間像の伝統にマルクスは立っていたわけですが、実はプロメテウスはアイスキュロス→マルクスの形で継承されているだけでなく、アイスキュロス → ゲーテ → マルクスの形の連関が存在すると思われるのです。
 何故なら、プロメテウスはゲーテにおいてはじめて、「鎖と花」にまとわれて出現するからです
(プロメテウスのドイツ語型はプロメトイス)
 ゲーテの偉大なシュトゥルム・ウント・ドゥランクの精神の力強い表現「プロメトイス」の詩(これは同名の未完の劇詩の一部をなしています)にあざみの花をふりまわす神々を嘲笑し、プロメトイスはゼウスに挑戦し(その結果鎖につながれ)ます。
 その結びの言葉は、

   ここにおれはしっかりと坐すわって
   人間どもを形づくる、
   おれの面つらがまえに似せて。
   おれと同じように、
   苦悩し、泣き叫び、
   生命いのちを享楽し、歓喜にむせび、
   決してお前を尊敬せぬーー
   そんな種族やつらに形づくる。
   この、
   おれのような、
   人間どもに。(古田武彦訳)

 この詩の中に出て来る「人間どもは'Mensch'、という単数形でなく、'Menschen'、という複数形で出て来ます('Menschen'が四格の場合、単複いずれにもとり得ることと相まって、普通の「文学的」翻訳ではこういう点、必ずしもこだわっていませんが)。その上、その「人間ども」'Menschen'が単に数多くの'Menschen'(の寄せ集まり)の意味にとどまらないことは、それが「一つの種族」'ein Geschlecht'と規定されていることにあらわれています。
 そして複数形が「一つの」ものに形づくられる、その筋金(すじがね)が'zu・・・・'以下の形容句に表現された「自らの地上の生を享受し、天上ゼウスの神に屈服せぬ」という思想的背景です(ですから、この、'ein'には「或る」といった漠然とした意味以上の強い響き“一箇の”“単一の” ーーがあるとすべきでしょう)。
 以上に分析したような、情熱的で明確な構成の中にこそ若きゲーテのシュトゥルム・ウント・ドゥランクの精神が脈打っているのですが、この荒々しい生命に満ちた詩の思想的背景は、強力に支配する神々の存在を前提にして、その神々に対する「戦闘的反神論」とも言うべきものです。
 こういう思想的人間像は、実際のゲーテがあとあと示していった人間像(たとえば“ウィルヘルム・マイステルの遍歴時代”にあらわされた敬虐派的信仰の人間像、またワイマール宮廷の高官たる、尊大なゲーテ自身)と遠く隔絶していることは言うまでもありません。
 "詩人は多くの美しいことを語るが、自ら語ることの真義を知らない。
(『ソクラテスの弁明(七)』岩波文庫、二二頁)と言われるように、若きマルクスはここに(この詩に)内在している論理を抽き出し、強固な形を与え、見事に哲学化したのです。
 マルクスの哲学で「戦闘的反神論」(普通「無神論」と言われていますが、単に「神が無い」ことを主張するのでなく、人間の立場から神=権力への挑戦の意義から見て、より正当な表明は「反神論」と言うべきでしょう)という「社会的連関における人間達」がとりあげられたことも、シュトゥルム・ウント・ドゥランクの詩人である若きゲーテの語った「美しいことの真義」と密接に対応するものです。
 マルクスが前記のへーゲル批判の論文(「へーゲルの弁証法と哲学一般の批判」)で人間を「受苦的'」'leidend'であり、「情熱的」'leidenschafttlich'なものと規定するのを見る時、彼の人間観がいかにシュトゥルム・ウント・ドゥランク的、ゲーテ的なものであったかがはっきりと示されています。しかも、これがへーゲル批判の根拠となっているのです。へーゲルの壮大な体系の中では、生きた人間が絶対精神の重荷の下で青ざめていること、それをへーゲル学徒マルクスに見ぬかせたのは、実にゲーテ的な、みずみずしい人間観の泉だったのです。
  (補)このことはエンゲルスが「ゲーテ論」で俗物ゲーテを告発したこととは無論矛盾しません。この論文の真の名称が「カール・グリューン『人間的見地からみたゲーテ』について」
(『マルクス・エンゲルス全集4』大月書店、二一二一〜二五八頁)と題されているように、この論文で真に告発されたのは、偉大なゲーテの俗物面しか見出せず、もっぱらそれを「人間的」として礼讃するグリューン氏なのです。
    全論文に満ち満ちた(グリューン氏を通して見られた)ゲーテの俗物性(ドイツ小市民的性格)への辛辣な告発は、実はメダルの裏側からみると、ゲーテの天才性、偉大性への愛情に満ち満ちているのが容易に発見せられます。すなわちゲーテのワイマール宮中顧問官としての「ちっぽけ」な性格を「思慮深い、寡慾な、俗人である」と評し、これに対し逆にその「巨大性」を「昂然たる、嘲笑的な、世間を蔑視する天才」に見出しています。
    そして前者の代表としての作品(ドイツ社会と「友誼」を結び、それに「順応」し、それを「讃美」し、「擁護」した作品)に「ツアーメ・クセーニェン」や「仮装行列」や"フランス革命を問題にしたすべての作品"をあげます。それに対し、後者(ドイツ社会に対して「敵対的」である作品)の代表たる名誉をになってエンゲルスによって指摘されるのが「ゲッツ」「プロメトイス」であり、さらに「『ファウスト』としてドイツ社会に叛逆し、メフィストフェレスとしてかれの最も辛辣な嘲笑をあびせかける。」と言うのです。
   あの膨大なゲーテの詩から一つだけシュトゥルム・ウント・ドゥランク期の作品「プロメトイス」があげられている点、またわずか六節の小詩が他の二つの作品(その一つは最大の作品「ファウスト」)に伍してあげられている点、さらにエンゲルスのあげる「巨大性」の形容たる「昂然」「嘲笑」「蔑視」という三性質が特にこの詩「プロメトイス」にぴたりである点、エンゲルスの心から尊敬した「最大のドイツ人」ゲーテの偉大性の焦点にこの「プロメトイス」が位置していたと見なしても、さしつかえないと思われます。


 さらにエンゲルスが同じ「ゲーテ論」において次のように述べていることはきわめて示唆的です。
「もちろんゲーテがこれらの言葉(『人間的なものの詩人』の"人問性"を指す、古田・注)を用いたのは、かれの時代に、のちにはまたへーゲルによっても使用された意味において、すなわち人間的という述語が特に異教的及びキリスト教的未開人に対立させてギリシヤ人に附せられた意味においてであった。したがってこの言葉がフォイエルバッハによってその神秘的=哲学的内容をうけとる、はるか以前のものであった。特にゲーテにおいてはこの言葉は、たいがいきわめて非哲学的な、肉体的な意味をもっている。」

 この文章にひきつづいて、ドイツ社会に「敵対的」だった、偉大なる作品「プロメトイス」があげられているのですから、マルクス・エンゲルスの言う「人間」の系譜は明らかです。
 また、前記のへーゲル批判の二論文に、宗教批判の根拠として、真の「人間」があげられた
動機も明らかと言うべきでしょう。
 通常、西洋哲学史ではマルクスは、ヘーゲル ーー フォイエルバッハ ーー マルクスの系譜で解説されるのを常としますが、実はマルクスの哲学の根底が「非哲学的」なゲーテ的人間観にあり、そのみずみずしさこそが真にドイツ観念論への批判となりえたことが重要です。
 つまり決定的に必要なのは、西洋哲学史内的マルクス理解ではなく、西洋思想史(精神史)内的マルクス理解なのです。たとえばロックの哲学の秘密がニュートンの(自然理解の)思想にあるように、マルクス哲学の「真の誕生地でありその秘密」はゲーテの思想(人間観)にあるわけです。
  (補)さらにこの際一言すれば、ここに「若きマルクス」を見出して、後年の唯物史観、経済学批判期のマルクスを峻別する見地は詭弁に他ならないことです。後年のマルクスが経済分析を通じて冷静に刻明な「資本論」の研究をすすめ、そこに科学としての「地上批判」を行ったことは事実ですが、そこに追跡された貨幣の物神性、人間労働の自己疎外等は後年の「資本論」があまりにも見事、かつ執拗な、若きマルクスのイメージの定着、実証過程であったことを示しています。
 両者(たとえば「へーゲル法哲学批判」と「資本論」)の間に、何等か本質的差違を見ようとするのは、(そのどちらに重きを置くにしろ)その論者の立場自身の「詭弁性」ないし、「党派性」を物語るものに他なりません。
   そこに存する「発展」なるものも、この本質内の発展であり、すべての「差違」はこの本質内の差違にすぎません。
   このことに関して次の挿話は示唆的です。
   マルクスが後年ロンドンで(資本論執筆時)その娘に「最も好む(小説の)女主人公は?」と聞かれて(他の質問と共に文章で)、一言「グレエトヘン」と(書いて)答えているのを見ても、偉大なるゲーテ的世界がいかに生涯を通じてマルクスの魂をつかんでいたかを率直に察することができます。
   ことにグレエトヘンは「ファウスト第二部の女主人公」たるヘレナと異なり、若きゲーテ、シユトゥルム・ウント・ドゥランク期の作品「ウル・ファウスト」(=グレエトヘン悲劇。現在のファウスト第一部の主要部)の女主人公の位置に立ち、いわば、シュトゥルム・ウント・ドゥランクの化身的存在です。
  「三つ子の魂百まで」 ーーマルクスは、若くして自覚したイメージを生涯かけて刻み込んでゆくタイプの思想家としての資質を強くもっているようです。

 

      2

 若きマルクスはゲーテ的人間観を「積極的人間主義」として哲学化し、その上に立ってかくも「一挙に」「見事に」「いっさいの宗教批判」を終えてしまったのですが、実はそのことで重大な問題を置き去りにしてしまったのです。もっとはっきり言えば、「科学」というよりは近代的ドグマ(すばらしい啓蒙的意義をもってはいるものの)をとり入れたのです。
 そのもとはへーゲルにあります。へーゲルの体系ではすべてが執拗にして壮大な弁証法的発展を徹底的に展開してゆくのですが、それらすべての世界史をおおって「絶対精神」が支配しています。この「絶対精神」がキリスト教の神の概念に他ならなかったことはへーゲル左派の見抜いたとおりですが、その「絶対精神」がみずみずしいゲーテ的人間観の上に立った若きマルクスによって「幻想の太陽」として一挙に否定され、「アヘン」としてうち捨てられた時、そこで否定され、うち捨てられたものはまさに「世界史を支配すべき使命をもったキリスト教"神"的『絶対精神』」だったのです。そしてこれまでの論述に明らかにされたように、この、いわゆる「普遍的」な「絶対」精神こそはその実、歴史的、具体的には「ヨーロッパ・キリスト教単性社会の、支配の宗教」の写し絵、その幻灯機的拡大にすぎなかったのです。だからこそへーゲルは単性社会「最後」の観念的哲学大成者の名誉をになっているわけです(「最後」とはマルクスにとっては完全に正確です)。
 したがってそのへーゲル哲学を逆(さか)立ちさせたマルクスが「宗教は民衆のアヘンである」という時、その定義は正確にヨーロッパ単性社会に対して、その本質的一面の適切な批判となり得たにすぎなかったのです。
 ですから、各時代の各宗教がそれぞれ各時代の民衆にとって何であったのかは、あくまで実証的科学的に分析されねばならぬ筈です。
 幻灯機を逆立ちにさせて、いっさいの世界史の「絶対精神」を脚下に踏みつけて、「すべての宗教批判の完了」を哲学的に宣言するのは、いっさいの宗教批判を弁証法的世界史の発展から孤立させる点、まさにへーゲル的絶対精神の逆立ち的継承で、たしかに観念論そのものの逆立ち、へーゲル的ドグマそのものの逆立に他なりません。「マルクスの両肩のうしろにへーゲルの踵(かかと)がのぞいている」といった光景です。
 人間が神を創造し、宗教を作ったのである以上、人間がそれぞれの時期のそれぞれの制作物によって何を得、何を失ったか、その各時代・地域での分析こそが真にリアルな、科学的な宗教批判となるはずです。そこにこそいわゆる弁証法的発展があとづけられるはずです。
 そこでは、「アヘンとしての宗教」「疑似アヘンとしての宗教」「非アヘンとしての宗教」「反アヘンとしての宗教」などが析出せられる可能性も論理的には予見されます。
 結論を要約しましょう。マルクスが「人間が宗教を作った」ことの確認を根本として、「いっさいの宗教批判は完了」したと宣言したにもかかわらず、実は、その同一の地点から、「いっさいの宗教批判が出発」したに過ぎないのです。
 ヨーロッパ単性社会の真只中において「宗教裁判」「魔女裁判」で純化された支配の神の重を哲学的にはらい捨てることは、長い歴史的苦渋の道程を経た大事業だったに違いありません(フォイエルバッハはその宗教批判の故に大学の教職を追放され、晩年の孤独と苦渋へ追いこまれます。バウアーも宗教批判で大学を追われ、そのためマルクスも大学の教職への望みを絶たれ、ロンドンの窮迫生活への第一歩を踏み出しています)。
 そのように長く強く人間精神を縛りつけ、苦渋させてきた「絶対神」を人間の被造物と見なす認識の獲得が、マルクスに宗教批判の完了という自負に満ちた言葉を吐かせたのですが、その地点こそ論理的に真の宗教批判の展開への戸口だったのです。
 こういうマルクスの追求の論理的未成熟は、彼がヨーロッパ単性社会の最大の批判者でありながらも、終(つい)にその単性社会の歴史的刻印をまぬかれ得なかったことを示しています。そしてその論理的未成熟、未徹底がマルクシズム自体に深く鋭い「影の部分」(欠除部分)を投げかけることになったことは後に述べる通りです。
 けれども実は、他ならぬ、マルクスの最大の継承者レーニンが鋭い直観力で半ば無意識にこのことをかぎつけていましたが、彼は残念ながらそこに止まっているのです。

 

     3

  「キリスト教が国教の地位をえたのちは、キリスト教徒が、民主主義的、革命的精神をもった原始キリスト教の『素朴な考え』を『わすれ』てしまった」(レーニン『国家と革命』第三章、レーニン全集二五巻、大月書店、四五三頁)

 ここに原始キリスト教が民主的革命的としてレーニンに規定されたのは、マルクスの宗教アヘン説と著しく相反するように見えます。けだし「民主的、革命的」な「アヘン」などとは形容矛盾でしょうから。
 しかし私たちは今までの論述をもとにしてこの(表面上の)の差異に理解を与えることができます。つまりマルクスのいわゆる「宗教」とはヨーロッパ・アメリカ単性社会の「支配の宗教」としてのキリスト教であり、レーニンの言う原始キリスト教は「被支配の宗教」、または「支配弾圧下の宗教」だということです。マルクスも言うように「人間が宗教をつくるのであって、宗教が人間をつくるのではない」(「へーゲル法哲学批判」)のであり、「人間精神の宗教的表現が宗教的精神である」(「ユダヤ人問題によせて」)以上、その時代の階級的対立の中で被支配者の側からのイデオロギーとして、革命的、民主的な性格をそなえた宗教も出現し得るわけです。
  (補)たしかにマルクスとエンゲルスに共通したトマス・ミュンツァーへの高い評価(マルクスは「ユダヤ人問題によせて」「ラッサルヘの手紙」において、エンゲルスは「ドイツ農民戦争」において)や、エンゲルスが原始キリスト教と現代労働運動を比較した独創的な論文、などにこういう思考(宗教の非アヘン的、革命的、民主的傾向の摘出)への方向は見られます。

 「キリスト教を最高の規範として、聖書を憲章として信奉している国家にたいして、聖書の言葉が対立させられなければならない。」(「ユダヤ人問題によせて」)とマルクスが言う時、聖書の美しい、理想主義的な愛の文句と政治的国家の醜悪な現実とが対立させられているのでしょうが、その対比の歴史的真相は、より深刻な点、つまり「支配の宗教」と「被支配の宗教」との矛盾にあったのです。

  (補) それでは「被支配の宗教」=原始キリスト教はいかに「革命的」「民主的」だったのでしょうか。この問題につき、私は別の論文「親鸞の歴史的個性の比較史学的考察対権力者観に於けるイエスとの対照」(神戸大学教育学部研究集録第II集別刷、一九五五年九月、『親鸞思想 ーーその史料批判』明石書店、六七九〜七〇一頁)で詳しく述べましたので、今はその結論の部分のみをあげます。
     “イエスの対権力者観”
  (A) 神の全能性よりする対人的平等性は基本的真理であるが、神の王国に到らんが為に不可避な「凡てのものを捨てて我に従え」との厳しい要請のために、かえって神の王国に入ることは「富める者」に不利に、「貧しき者」に有利にならざるを得ない。むしろ現実的に物質の「富める者」の可能性は至難であり、物質の「貧乏人達」こそ神の国に近き者、祝福せられたものであった。(「富める者の神の国に入るはラクダの針の穴を入るより難し」という“ラクダの論理”がその端的な表明である。ここでは「富める者」を「心の富める者」と解する後世〈国教化、単性化した〉キリスト教の理解〈すりかえ歪曲〉と全く異なる姿があざやかにあらわれている)。
  (B) 世の諸々の繁栄 ーー凡ての富と権力とは悪魔に属するものであり、それらとの訣別にこそ「神だけに奉仕」する所以があった(「神と富とに兼ね仕えうること能わず」という時の“富”とは、世俗の「生活物質」のことではなく、権力とむすびついた巨大私有財産そのもののことであった。そしてその所有者達にイエスが与えた名前が「」〈神の敵。悪魔に属する者〉であった)。
  (C) しかし、此等権力者に正面から、反抗したり、武力的抵抗をすべきでなく、今は彼等の外面的要請にも「彼等を躓(つまず)かせざらんために」従うべきであった(ここで外面的要請とは租税をローマ権力者に収納させられることを指す)。
  (D) しかし、この世の終末の日(地上の王国の破滅の日)はイエスの弟子達がイスラエルをまだ巡り終らぬうちに(すぐ近い将来に)来るはずであるが、その日には彼等悪魔のものたる「敵」、権力者・富者達はことごとく亡び破滅し去るであろう。そして同時にそのような救済史的「時」の到来と共に救済の神の国が現実にありありと実現するであろう。
  (E) かかる「将来」(真近に迫っている破滅の運命)を知らず、あさましくも今我等を迫害している「敵」、権力者・富者・迫害者に彼等(その日を知る者)は、今は抵抗せず、かえって彼等「汝の」を愛し、彼等の為に祈るべきである(汝等は彼等の迫害に屈せず、恐怖せず、自信に満ちて、この"今"を純乎たる愛に生きるべきである)。
  ーー以上が、「被支配者の宗教」であった原始キリスト教時代のイエスの対権力者観の骨格です。

 マルクスはシュトラウス等の福音書批判は知っていましたが、二十世紀になってシュヴァイツァー等によって明らかにせられた徹底的終末論的理解の成果にふれ得ず、ためにイエスの愛の教(「汝の敵を愛せよ」)の「敵」のニュアンスに己(マルクス)の思想内の「敵」との似姿を認め得ぬと共に、その徹底的な、“今”の愛の教が敵の近き“終末”の日の徹底的滅亡確信と正確に相呼応していたことを理解し得なかったのです(このイエスの姿は至高神ゼウスの没落の日を知る故に不屈の精神を貫いたプロメテウスを想い起こさせますし、まさにその故にイエスは鎖ならぬ十字架のはりつけ台に縛りつけられたのです)。
 したがってエンゲルスや後のカウツキーの原始キリスト教理解も、単に当時の暴動的情勢の観念的所産として原始キリスト教を描くのみで、原始キリスト教(特にイエスの教)の固有の論理を、いきいきしたイエスの「人間」を把握できなかったのです(ただしエンゲルスの場合は直接イエスにふれているものではありません)。
 この点から見ると、レーニンの直観的印象的な評語はあまりにも適確だったわけですが、このことは当然マルクスの忠実な継承者レーニンの意識的に見ようとしなかった点へと論理的帰結を導かないわけにはいきません。
 つまり「宗教アヘン説」は限定的有効性をもってはいても、すべての宗教がアヘンであるとはなし得ないこと、すなわち「いっさいの宗教批判の完了」説の否定です。

 

     4
「良心の真の自由を勤労者に保障するために、教会は国家から、学校は教会から分離され、宗教的宣伝と反宗教的宣伝の自由が全市民にみとめられる」(一九一八年ロシア社会主義連邦ソヴェト共和国憲法第十三条)。
 この条項がロシア革命後のソヴェト共和国憲法にあらわれたことについて疑惑をもつ論者は少なくはありません。それは通俗的な反共主義者から有数の各国憲法専門家、学者に至るまで限りなくそういう疑問が寄せられています。ヨーロッパやアメリカの多くの民衆にとって(あるいは多くの学者にとっても)、ソヴェト共和国が「共産主義の国」としてよりも、まず(許しがたき)「無神論専制の国」として映じていることは、ヨーロッパ・アメリカの学者達の論文よりも、かえってその民衆にふれた旅行者の紀行文、留学生の報告にあらわれているところです。このことは日本の学者や民衆にとっていささか理解しにくくあろうとも、この論述で示されたようにヨーロッパ・アメリカ単性社会の中でながらく馴致されて来た民衆という見地から見れば、当然十分の理解が得られることと思います。
 こういう立場から見ると、その無神論の国で「良心の自由」を保障するなどというのは、詐術に非ずんば自己矛盾もはなはだしいと考えられるわけです。あるいは国内の宗教的勢力への狡猾
(こうかつ)な「外交的妥協」ではないか、また国内の教会勢力がいかに根強いかという証拠に他ならぬと考えたりするわけです。
 しかし、これはレーニンがいかに頑強なマルクスの祖述者であったか、少なくともこれがマルクズの真意と信ぜられるところを何の妥協もなく押し通すという強烈な情熱(それへの誠実こそがレーニンのあらゆる政治活動の源泉であったし、このことはレーニン全体を肯定的に見る者も否定的に見る者も認めざるを得ない事実です)から見てなり立ちそうにない見地でしょう。事実、マルクスの著述から見ても、まさにこの条項はその主張点の完壁な法的表現と言わねばなりません。
 つまり「いっさいの批判」の前提に「宗教批判」を置いたマルクスは、この問題を「ユダヤ人問題によせて」の中で根本的に徹底的に追求しています。
 宗教を「なやんでいる者のため息」「自分の状態についての幻想」と見なしたマルクスは「宗教の廃止」を要請するバウアーの見地を徹底的に排撃したのです。
 私の比喩で説明すれは ーー幻の虹を消したいならは、必要なことは虹に向かって大砲をぶっぱなすことではなく、たとえば湖をうずめたり、一方の山をけずって風通しをよくしたりして、空中の水蒸気を乾燥せしめることです。無論、人々を覚醒させ、問題に目を向けさける点において、虹に向かって大砲をぶっぱなす類
(たぐい)の行為も無益ではないし有用でさえあるでしょう。しかしそれはその限りにおいてであって、あくまで虹を消す真の力は大砲にはないとするのがマルクスの科学的客観的精神のさし示すところでした。つまり現実の客観的基盤の(乾燥した大気の)中で、期せずして虹は消滅するか、少なくとも目に見えて減少するでしょう。
 言いかえれば「幻想を必要とするような状態」を廃止すること、すなわち地上への批判、地上への武器の批判、人間が人間を搾取する国家の廃止によってのみ、「理性的になった人間らしく考え、ふるまい、自分の現実をかたちづくる」人間の誕生がはじまり、宗教という「幻想上の太陽」は消えてゆく、というのです。したがって水蒸気のある間は虹は消えないし、そのこと自身まことに道理あることであり、それは徹底的に自由に存在することが保障されねばならない、というわけです。北アメリカ諸州は別として、多くのヨーロッパの国々(ことにドイツ)は十分な「信教の自由」の存しないことこそ後進性の証拠であり、北アメリカの如くまで進歩させることによって、宗教の「幻想」としての意義は純粋に、示されることになろう、というのがマルクスの力説したところでした。
 したがってドイツ ーー アメリカの対比が「後進 ーー 進歩」であり、「信教の束縛 ーー 信教の自由」である以上、来るべき共産主義社会(またそれへの過渡期として死滅しつつある国家)では、「北アメリカより、一層徹底的に自由」であり、かつ、「北アメリカより、一層決定的に進歩」でなければならぬというのがその帰結となります(この帰結までは「ユダヤ人問題によせて」では出ていませんが)。
 この帰結を最も典型的に、言わば科学的な美しさで表明したのが晩年の「資本論」の次の文章です。

 「現実的世界の宗教的反射は、総じて実践的な日常生活が人々に対し、かれらの相互間および対自然のすき透るような、理性的な諸連関を日常的に表示する場合にのみ、消滅しうるのである。社会的生活過程すなわち物質的生活過程の姿態は、それが、自由に社会を構成する人々との産物としてかれらの意識的な計画的統制のもとに立つ場合のみ、その神秘的な霞の衣をぬぎすてる。だがそのためには、社会の物質的基礎が、あるいは、それ自身がまた長い苦難にみちた発展史の自然発生的産物である一連の実在的諸条件が必要とされている。」

 こういう、ゆるがぬ自信のもとに「良心の真の(他の訳では“現実の”)自由」が宣言されるのです。
 無論、この「真の(現実の)」という形容詞は「ブルジョワ社会の最高度の進歩でさえ達成できなかったほど完壁の、明確な」という意味と自負をもっています。また、「反宗教的宣伝の自由」が特記されているのは(この表現がアメリカ・ヨーロッパの国々のものと比べて最も著しい相違です)、ヨーロッパ単性社会での「信教の自由」は結局旧教と新教の同時承認に過ぎず、反宗教(反キリスト教)は必ずしも実際上「自由」でなく、敵視せられ、社会心理上の「村八分」を受けたという歴史的経験を背景にしているわけです。
 けれどもキリスト教単性社会の「良心の自由」はたしかにこの点に単性体の根本矛盾をもったわけで、(ロックにおいても、「神に支配されつくした良心」という前提が「良心の自由」の根拠原理でした)事態が「良心の自由」から「良心の自由」へ進展する論理必然性をもっているのです。
 ですから、この「宗教宣伝の自由」と同時に「反宗教宣伝の自由」を規定した「良心の自由」の法が「真の(現実の)」という自負を有するのは少なくとも論理的にはきわめてもっともなことだと思われます。
 けれどもこのマルクシズム内では完壁な、「“良心の自由”の法的表現」もスターリン憲法では重大なすりかえが行われています。

 

     5

「市民に、良心の自由を保障するために、ソ同盟における教会は国家から、学校は教会から分離される。宗教的礼拝の自由および反宗教的宣伝の自由はすべての市民に対してみとめられる」(一九三六年ソヴェト社会主義共和国同盟憲法第百二十四条)。
 変更箇所の第一の点は、例の「真の(現実の)」がなくなったことです。第二の点は「反宗教的宣伝の自由」はそのままなのに、「宗教的宣伝の自由」が「宗教的礼拝の自由」にすりかえられています。
 レーニン憲法に制定当時の状態(教会勢力など)の卑俗な反映を見る者にとっては、このスターリン憲法の変更はささいな、かつソヴェト社会の社会条件の変移(「進化」!)の反映にすぎぬとうつるでしょうが、前に理解したように、レーニンのそれがマルクスの理論の完壁な表現であることを知ったわたし達にはこの変更は重要です。
 宗教がその本性として「自信教人信」(親鸞の好んだ表現 ーー“自ら信じ人をして信ぜしむ”)を含むことは宗教のイロハです。つまり「宗教的宣伝の自由」なしに「良心の自由」「信教の自由」は考えられないわけです(日本の封建時代の初期においてさえ、弾圧が加えられたのは専ら“教人信”すなわち“宗教的宣伝の自由”に対してであって、親鸞が“宗教的礼拝の自由”にとどまって満足していたならば、流罪や迫害の運命と本源的自由の強靭さを必要としなかったに違いありません)。
 それがここでは「宗教的礼拝の自由」という形式的な表現に変えられます。(“礼拝”はかつてロックが'worship'で、としたものですが)この「礼拝」の意義をいかに解するにしろ、「反宗教的宣伝」との均衡が破壊されていることは疑えません。自負に満ちた「真の(現実の)」という形容詞がけずられねばならなかったのももっともです。
 ここにいかにさまざまの「現実的」理由をならべても、なおかつその奥に右の趣旨の横たわるのを見のがすことは到底できません。
 前にあげたマルクスの根本論理はくずれ去っているのです。しかも、遺憾なことにマルクスにとって「宗教の批判」は「いっさいの批判の前提」なのですから、「いっさいの批判の前提がくずれた」(甘く見ても傷ついた)こともその論理的帰結です。
 「ツァーがキリスト教を堕落させたのに反して、私はロシアのキリスト教を堕落から救った」
 これはスターリンが英国カンタベリーの副僧正ヒューレット・ジョンソンに語った言葉として報告されています。
 この「救った」というような表現がスターリン独特の皮肉であり、ユーモアでさえあることは十分察せられますが、そういうニュアンスを十二分に計算に入れてなおかつ、レーニンならは「私は救った」というような文脈(コンテキスト)では(ユーモラスなニュアンスの皮肉をも)語らないだろうと思います。
 わたし達はこのスターリンの言葉のもつ、客観的な真実性の一面と共に、この文脈自身のもつ「真面目な」アン・ヒューマンなニュアンスを見のがしてはならないと思います。
 自らをユーモラスに宗教の救世主に見たてるということは、自らを何らかの意味で、非宗教的ソヴィエト体制の救世主と自負しているという背景 ーーその実体を抜きにしては、この言葉はユーモアにすらならないからです。
 実は先にあげたレーニンの貴重な文献 ーー原始キリスト教の「民主的」「革命的」性格を述べた言葉が「〜のように」と結ばれてあったことでわかるように、これは比楡の文章なのです。その前文は有名な国家死滅論(プロレタリアの権力奪取後の状態)を述べ、その死滅しはじめた国家の最大特徴として次のように描いているのです。
 「この点でとくに注目すべきものは、マルクスが強調しているコンミューンのとった措置、すなわち、あらゆる交際費や官吏の金銭上の特権の廃止、すべての国家公務員の俸給の『労働者なみの賃金』の水準への引下げである。・・・・ところが、ほかならぬこのとくに明瞭な、 ーー国家問題についてはおそらくもっとも重要な点でマルクスの教訓がもっとも重要な点で、マルクスの教訓がもっともわすれられているのである! ーー通俗的な注釈 ーーそれは無数にあるがーー には、このことについてなにも述べていない。時代おくれの『素朴な考え』としてこのことを黙殺するのが『慣例』である、・・・・」
 この文尾をうけて、前記の、「民主的」「革命的」原始キリスト教の「素朴な考え」を「わすれ」てしまった「国教化後の」キリスト教徒が比喩とされているのです。
 国家公務員としてのスターリン氏がどんな「労働者なみの賃金」で生活していたか、その公開された資料を知りませんが、少なくとも住宅事情だけは「労働者なみの住宅」ではなかったようです。地上の救世主として国民に君臨したツァーの宮殿(クレムリン)は住宅としてどう見ても「労働者なみ」とは考えられないからです。
 ウォール街の住人達の住宅事情と彼等の「賃金」を忘れてこの問題をとりあげる、不誠実な論者ときっぱりと手を分かちつつも、わたし達は次の文章を想起せざるを得ません。
 「かれら(哲学から出発した、ドイツの理論的政党を指す)は反対派にたいしては批判的態度をとり、自分自身にたいしては無批判的な態度をとった。」(マルクス「へーゲル法哲学批判」)
  (補) マルクスはしばしばこういう表現を愛好しています。彼が資質として骨の髄まで批判精神の所有者だったことのあらわれでしょう。
   「批判という形式のもとで死にかけている観念論(青年へーゲル派)は、自分の生みの母であるへーゲル弁証法にもっぱら批判的に対決しなければならないという予感をただの一度も表明しなかったばかりでなく、フォイエルバッハの弁証法に対してさえも批判的な態度を示そうとはしなかった。自分自身に対する完全に無批判な態度である。」(マルクス「へーゲルの弁証法と哲学一般の批判」)
   いわゆる「修正主義者」の他に、マルクシスト自身の中にマルクシズムに対し、「もっぱら批判的に対決しなければならないという予感」をもって批判的態度を示そうとする者の見られないのは不可思議なことです。マルクシストは必ずしも「マルクス的」ではないようです。

 このようなスターリン批判は現在ではむしろ「安全な」追い討ち批判、(勝てば)官軍批判の観がありますが、このスターリン憲法は現在においても生きているものであり、かつ問題の根として、マルクスの宗教批判の不徹底性、安易性に一つの原因があります。
 いっさいの宗教批判の戸口で「完了」して立ちどまってしまった結果、たとえば、原始キリスト教の内面の論理 ーー個々の人間が権力に面して立つ本源的自由ーー といった、いきいきした要素を批判的に摂取する道がふさがれてしまったのです。
 スターリンが宗教博物館であらゆるイエスに関する諸伝承を迷信化し、滑稽化し、民衆への啓蒙的「反宗教的宣伝」の自由を行使していた時、自らが滑稽な「無謬の権威者、神聖の権力者」に化してしまっていることを、生前に下から批判してゆるがぬプロメトイス的精神をソ同盟の広大な大地の上に遂に見出し得なかったのです。
 ゲーテの「プロメトイス」の詩で、「人間達」が「単一の種族」に形づくられ、支配の神ゼウスに挑戦するさまが歌われていました。マルクスはこれを継承し、「社会的諸連関における人間存在」として哲学化し、プロレタリア階級に「単一に形づくらるべき種族」を発見したのです。つまり、プロレタリア階級こそ唯一の(人間達)抵抗体とされたのです。言いかえれば現実的な抵抗体は個々人でなく、階級としての「人間」「単一の種族」であったわけです。
 したがって各個人の内面的力をそれ自体独立的に承認することは、ブルジョワ個人主義として斥けられる傾向をもつようにならざるを得ませんでした。
 しかし、現実の運動実践下、あくなき権力側の弾圧下においてはマルクシストの、個人の内面的抵抗力は最大限に要求されます。したがって十分な哲学化をうけないままに、いきいきした「理論の秘密の部分」「隠された、暗黙の自明の約束」として、マルクシスト個人の内面の生気はみなぎっていたのです。
 しかし、いったんマルクシズムがソヴェト同盟内で「国教化」すると、理論的に資本主義内部におけるような意味での「プロレタリア階級」はいなくなり、したがって唯一の現実的な抵抗体は理論的に消滅したのです。
 この場合、原始キリスト教(イエス)では、無論ユダヤの被圧迫階級「貧乏人達」を背景としながらも、近代のプロレタリア階級のような単一の抵抗体が形成されなかったことと相まって、弾圧への抵抗力は直接個人の人間の内面に求められ、それの論理化として、「神の前にある個人の内面」が権力への不屈の拠り所となったのです。
 こうした個人の内面の独自の「民主的」「革命的」権威を欠落したこと、その理論の欠落は「欠落の理論」として、スターリン体制の「批判の欠落」という現実と結合したのです。
 これは無論、個人崇拝の一側面です。その基本的な理由は、帝政ロシアに対比されたソヴェト体制のすばらしさ、人民の諸力の広汎な解放と幸福の飛躍的増大、それらの勝利そのものなのです。これこそ個人崇拝の根底の理由をなしているのですが、その根底はすぐさま個人崇拝へ向かう可能性をもっていても、必然性をもっているとは言えません。この「可能性」を「必然性」に転化するのに、マルクスの宗教批判の未徹底性から来る「欠落の理論」、いいかえれば(ヨーロッパ単性体内の限界に禍された)、必要にして十分な抵抗体の未哲学化も一因をなしているのです。
  (補)個人崇拝の原因として次の四つの点の理解が少なくとも不可欠な条件です。第一に先にあげた、ツァー体制に対するソヴェト体制の圧倒的勝利。第二にソヴェト体制内に沈澱した前ソヴェト的傾向(農民のツァー信仰)。第三に敵意を以てソ同盟をとりまく(軍事的にも文化的にもより強力だった)帝国主義列強の三面包囲と、それに対する同盟内部のヒステリ ーー現象ーー 自己内部を戦闘的に明瞭(クリアー)に純粋(ピュアー)さにするための異端分子(帝国主義の手先)粛清裁判。第四に前記「欠落の理論」と「抵抗体の欠落」。

 この点への自己批判を徹底し得ない以上、フルシチョフ氏のスターリン攻撃の激烈さが必ずしも決定的にスターリンより遠ざかる道にならないことが予感せられます。
 この節の論及に対し、要約を与えれば、次のようです
 「マルクスの戦闘的反神論の宗教批判は『信教の自由』の含む原理的矛盾、その問題性への、今までに最も鋭い肉迫、批判であった。しかしその『最も鋭い批判』も、ヨーロッパ・キリスト教単性体内的視野を遂に脱し切ることが出来ず、いっさいの宗教批判の戸口に立ちどまっていた。そのため、過去の人類の宗教的遺産を豊かに批判的に摂取(止揚)する道をとざしていたことが理論的欠落を生み、その理論が『国教化』するに及んで、その欠落 ーー影の部分ーー はソヴィエト同盟の体制の中の精神状況にどす黒い陰影(『積極的人間主義』の輝く太陽の中の影)を与えることになった。スターリン崇拝はその影の一つの反映であった」
 最後に簡明に次の表明でこの節を結びましょう。
 ソヴェト同盟の偉大な実験にとっての最大の課題の一つは、資本主義的自己疎外から解放された、現実的な「総体」としての「不屈の人民」の概念と共に、(その単なる分有としての個人でなく)「いきいきした一個の人間」「それ自身完結した小宇宙としての権威をもつ、いきいきした個体」「不屈の本源的自由の大地に立つ個人」の概念を(ブルジョア個人主義との峻別の上で)建設し得るか否かの問題です。

 

IV 日本近代社会の精神状況への考察
      ーその論理(ロジック)の抽出の試み


古田武彦著作集 親鸞・思想史研究編1『親鸞 ーー人と思想』(明石書店)にも収録

新古代学の扉 事務局 E-mailは、ここから


『神の運命』目次 へ

宗教の壁と人間の未来 へ

著作集1目次 へ

ホームページに戻る


制作 古田史学の会
Created & Maintaince by“ Yukio Yokota“